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7月, 2020の投稿を表示しています

7年という月日

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2011年3月あの東日本大震災で家族4人が津波にのまれたUE氏 2011年夏 名古屋から夜行バスで福島にむかったジャーナリスト笠井千晶さんは たまたま出会ったUE氏と たび重ねて出会ううち 心を通わせ450時間を越す撮影をし 2017年に映画化【LIFE生きていく】した。 それを 2020年書籍化したのがこの本。 裏表紙にこのように書かれている。 UE氏の言葉。 「ほんとに助けて欲しいって思ったときにはさ,来なかったねぇ、誰も。ずーっと置いてきぼりだ、ここは」 避難を拒み、仲間とともに行方不明の家族を自力で捜すUE氏の姿を、著者が7年にわたり丹念に取材した記録。 家族を、特に幼い我が子を失った悲しみを 全体を通して書かれており あの頃は「絆」とか「復興」とか叫ばれていたが 次第に報道されなくなっていく。 でもこの著者は被災地に通い続けているので現実が明らかにされている。 あの頃 「花は咲く」という歌があちこちで流されていたが 私が 歌詞に何か違和感というか、 落ち着かない気持ちになっていたのは あまりにも 被災者の気持ちを逆なでするようなものだったからではないだろうか…という気持ちがした。 「見つからない」のではなく「捜しにきてもらえない」場所にいる行方不明の家族を今も捜索し続けるUE氏の言葉  「誰かが探している限り見つかる可能性はゼロじゃない」 両親と長女(家の近くで発見されている)と長男を亡くし、妻とその後生まれた二女ととともに 瓦礫を片付けながら 長男を探し続け 思い出多い家を解体するまでの日々の中で UE氏は 「俺はもともとそんな優しい人間じゃなかったけど 今自分が人にやさしくできるのは亡くなった人たちのおかげ」などと言っているが 本を読みながら こらえようと思っても嗚咽したことが何度もあった。 小学2年生の時に亡くなった長女、4年後「卒業証書を・・」との連絡が小学校から入る。  「成長した同級生を見るのはつらい」とさんざん悩むが 式に出ることに決め、 式当日 母親はてきぱきと礼服に着替え二女にも着替えさせた横で ネクタイを結ぶのに手間取っている父親UE氏。 「朝からもう2度も泣いているのですから…」と妻。 人前ではめったに涙を見せない母親だってもちろん 悲しみか

カタツムリとナメクジ

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自然観察の森第2回講座の日。 このところ 梅雨前線が停滞していてほとんど毎日雨が降っている。 九州では 熊本県はじめあちこちで土砂崩れなどの大きな被害が出ていて 「台風ではなく雨だけで こんなにたくさん川が氾濫する?」と思い 被災者の方が気の毒でならない。 今朝ちょうど出かける時にきつい雨が降ってきて 20分足らずだが ワイパーフル稼働。 活動も本来なら新しい子どもたちに森の中のコースを覚えてもらうよう 全員で回るはずだったが 一部コースだけになった。 「6月の森との違いを感じよう、大きなナメクジがいるから探してみよう、 ササユリの咲いた後の様子を観察してこよう」だった。 全員傘をさして 森を歩く。 木道は滑るので こわごわ歩く。 子どもたちに「滑るから気をつけてね――」って言って自分が転んだら大変だから・・・・ 歩いているうちに 雨が小降りになり助かった。 その時に子供の一人が 「ナメクジとカタツムリはどっちが先??」との疑問を出したようで サポーターの一人が 調べてくれた。 彼曰く 「インターネットの先生に教えてもらったので …」と話してくれた、 【 ナメクジが進化して殻を作り出したように思えるが、 実は、カタツムリが殻を捨てたことによって誕生したのが ナメクジ。 なぜカタツムリは殻を捨てたか? 殻を作り維持するには膨大なカルシウム摂取とエネルギーが必要。 殻がなければ隙間にもぐりこんで容易に隠れることができるし、 そこで新しい餌にありつくこともできる。】 ナメクジは気持ち悪いけれど カタツムリは触れるしあじさいの葉の上に載っているのをみたりすると「かわいい!」って思うこともある でも カタツムリもナメクジも同じ巻貝の種類だそう… そのあとは 「竹笛を作ろう」 のこぎりや小刀の使い方を練習。 音を出すのにかなり苦戦していたが やっと自分の竹笛が良い音を出したときには 何とも言えない笑顔!!かわいいなあ~~ 「勾玉を作ろう} 竹笛作りで予定していた時間よりだいぶ伸びてしまったので 勾玉作りは時間が少なくなってしまった。 森の中のヒノキの倒木をあらかじめ職員さんが いろいろな形にカットしてくれてあり 紙やすり120番400番を使って形を整える。 ひもとビーズも用意してくれてある。 担当する班のメンバーに欠席者がいて その子の分ももらった。 帰宅してから ひたすら 磨