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3月, 2016の投稿を表示しています

〇〇力

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一時 「〇〇 力 」という言葉がはやり(?) ある時 「老人 力 」という本が 出てきて大宣伝されベストセラーになったことがあって 「そうか~考え方によったら 年齢を重ねるということは 逆の意味から考えれば よいことともとれるのか~」と プラス思考の考え方の基本を学んだような気がした。 よく若い女性に「結婚相手の条件は?」とたずねると 「学 力 、経済 力 、会話 力 」などと言う答えが返ってきて それについての「力」はうなずける。 常識 力 創造 力 想像 力 包容 力 コミュニケーション 力 環境適応 力 なども あまり違和感はない。 アドリブ 力 などは タレントさんやお笑い芸人さんには必要な力だと思う。 今回 「 あの世へ逝く力 」という本が刊行されたそう・・・・・・ なるほど 考え方次第では 生きていくのも楽になるかも?という 気がした。 宣伝の中に ● 死の恐怖を覚悟に変える ● 寿命より 人生の質にこそ価値がある ● 死の苦しみはないと自分に言い聞かせる ● もうゴールまで一本道だから怖くない ● 死は人生の終焉ではなく 生涯の完成 こんなことが書いてあり 「このように考えれば 自分の人生の残り時間を伝えられても 動揺が少なくて済むかもしれない・・・・・と思った。 そして ●  あとに残るものは 集めたものではなく 与えたもの こんなことも書いてあり 「一日一日を大切に生きていくこと」の意味、大切さを つくづく思った。 私の人生の中でこれまでいろいろな意味で影響を与えてくれた友人が 今 命の終わりと向き合っている。 残された時間を宣告されているのに 達観しているというか 周りの人々に「感謝」や「お礼」の言葉を伝えており その誠実さには 頭が下がる。 そこへ来るまでにたくさんの涙を流したであろう、ことは 想像できるが・・・・・・・ ≪ 寿命より人生の質にこそ価値がある ≫ この言葉を彼女にささげたい、と思う。

支援

今月であの東北大震災から5年になるが 未だに復興が進んでいるとは言い難く 「国はどうしてもっと真剣に復興に対して向き合わないのか・・・・・オリンピックなどと騒いでいる場合ではないのでは・・・・・?」とずっと思っている。 こんな話を耳にした。 震災の数日後に社長が 復興支援を「薬会社のことは忘れろ とにかく支援を・・・」と社員に通達し 支援を行う人を募り 50人もの人が現地に向かったそうである。 現地の漁師さんと話して会社の起業の手助けをしたり・・・など 各自が独自の支援を続けたとか。 ロート製薬である。 目薬やメンソレータムなどがすぐ思い浮かぶ会社。 そして長い目でみて 震災で親を亡くした子どもたちの支援を今も続けているそうである。 それともう一つ 資生堂の女性社員。 気仙沼や大船渡では 市の花が椿なのでこれまでには椿油を料理や髪の手入れに使用していることからヒントを得て 椿の植樹も進め それを安眠をうながすミスト、またドレッシングを商品化して すべての商品を売りつくす、という 復興支援を。 こんな話を聞くと少し気分が明るくなる。 夏の選挙に向けて 一時的な人気とりばかりしている政治家には 毎日うんざりしていたので こうして大企業の頑張りをみると 「これぞ日本の精神!!」とうれしい。

思いがけない雪景色

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先日来ずっと いつもの山仲間から「〇〇には 福寿草が・・・・」   「◎△には セツブンソウが…」などと聞いていたが 気持ちはあせるものの 予定がなかなかたたず やっと出かけることが出来た。 2月からあちこちの山で福寿草が咲いている話を聞いていたが このコースの福寿草が 毎年とても素敵なので  はりきって・・・・・・ 予報では朝は冷えるが日中はグッと気温が上がり晴天になるということだったので よく晴れた青空のもと きれいな福寿草を写そうと、前日にはカメラのバッテリーの残量をチェックし・・・・・・万全の用意をしていたのだが。 しかし車を走らせていると 山の上のほうには真っ白な雪が・・・・・ 「コースを変更しようか?」とも話したが予定通りのところへ。 途中から雪、雪が、雪が・・・・・・たくさん。 急斜面に固まって咲いている福寿草があったが 写すことが出来ず 寒さに震えているような福寿草だけ。 ネコノメソウも雪に埋まって咲きかけていた。 その後は もっぱらラッセルラッセル。 今冬は 雪山に一回登っただけなので 思わぬ雪景色にびっくり。 そしてその美しさに感激! 思っていない景色だったので よけい きれいに感じたのかもしれない。 新雪を歩くと 20㎝くらい埋まるが 実際降っていたのは10cmあまりかな。 遠くに雪をかぶった霊仙山が見える 鈴ヶ岳頂上 立札も雪の帽子をかぶって・・・・・ 鈴ヶ岳から鈴北岳までの木々の間はなお一層 雪、雪、雪・・・・・・ 青空がきれいで なおさら 木々の雪が美しくて  「わ~きれい!」 「あっちもほら!!」 「向こうもきれい ♪」 伊吹山も こんなにたくさんの雪 樹氷のようにも見える  ♪♪ 霊仙山と伊吹山が並んで 福寿草は見られなかったけれど 思わぬ雪景色に大満足の一日だった。 前日 ザックに荷物を詰め用意しながら「アイゼンは?」  「いらない いらない」 という会話をしたのに・・・・・ そして 夕方自転車で出かけるときに あまりにも寒いので カシミアのマフラーを首に巻いたがそれでも 寒かったので やはりそういう時には山には雪が積もるということなのね。 1000m位の山でこ

お礼の言葉

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3月中旬だというのに朝起きたら 霜がおりていた。 森のJVR講座修了式。 少し早目に行き 森の中の観察。 例年だと今頃きれいに咲いているセツブンソウはすでに種になっていた。 でもバイカオウレンがきれいに咲いていて満足。 これは前回の講座の時に見つけたもの ランの種類でしょうね ジガバチソウ?コクラン? 花が咲く時期が楽しみ ザゼンソウ コセリバオウレン バイカオウレン とにかく寒い部屋に座っていなければならないので カイロを二つ用意。 今年は32名の受講生だったが 皆出席者が多かったらしい。 修了書、努力賞、佳良賞etc. たくさんの子らが 賞状を受け取るが 名前を呼ばれても大きな声で「はい」と言える子が少ないのが気になる。 その後は春に種をまいたクヌギなどの苗木を植えた。 3年前に植樹したサクラ、何本かは育っていてそろそろ花が咲きそうな木もあったが 私の木は 何かに負けたのか探しても見つからず・・・・・残念 今回は シイの森に植えたがそこへ行く途中で見つけたもの ヒイラギナンテン トサミズキ 何人の子が来年度も続けるのか分らないが 今回で終わりの子も間違いなくいる。 忘れ物がないように子どもたちにファイルや名札を渡していると 背中をトントンとたたく子が・・・・ 私が一年間担当していた4年生の男の子。 「一年間 お世話になりました、ありがとうございました」  だって・・・・ うわーっ!!!!(*^。^*)  感激した。 これまで10年以上この活動を続けているが個人的にこのような言葉を残してくれたのは初めて。 うれしいものである❤ そして例年通り 受講生からサポーターへのプレゼント。 2年前に植菌したシイタケをプレゼントしてくれた

仮処分

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1月2月に再稼働した関西電力高浜原発に対して滋賀県の住民29人がさし止めを訴えていたが 3月9日 3号機4号機の運転さし止めを 勝ち取った。 大津地裁のすばらしい判断に 久しぶりに 気持ちが明るくなった。 抱き合い、涙を流す数十人の映像を見て 感激。 「いのちとびわ湖を守る運転さし止め決定 」との紙が掲げられていた。 5年前の福島原発の問題が全く解決していない今の状況で 再稼働はあり得ないと思っていたが アレヨアレヨと思う間もなく 再稼働され 暗澹たる気持ちになっていた。 運転開始から40年を超えている高浜1号機2号機を新規制基準に適合すると認めたこと自体 「原則40年で廃炉にする」というルールを破っているではないか・・・・ 収益第一になっており 国民の健康を全く無視しているわけだから・・・・ しかし 原発さし止めと大津地裁が仮処分を出したその日の記者会見で 菅官房長官は「遺憾である。世界一の安全基準を満たしている原発が・・・・」などと言うコメントをだし 「一体世界一安全な基準て どうやって出すわけ?」と思った。 安全、安全と言われていた福島の原発が歴史上初めてという大惨事になっており そのあと片づけは全くというほど終わっておらず 収束の気配がないというのに・・・・ 絶対ないと思われていた事故が起こった以上、日本は地震が多い国であること、あちこちに断層があること、その年による気候変動にもよるだろうし どんな方法で他の国と比較して安全であるといえるわけ?? 世界一安全だなどと どんな基準?と 思ってしまう。 5年前の福島原発の事故で飯館村の長泥地区は 帰還困難区域に指定され  住民が皆散り散りになったそうである。 年に一度 もとの住民が集まり懇親会をするそうだが 『 いつまで結束を保つことが出来るか、今のうちに本を作っておこう 』 と思って 「 もどれない故郷(ふるさと)ながどろ 」という写真集をつくったそうである。 多くの聞き書きでたどった地区の歴史も子孫に手渡したい、との思いからだそうで 震災以前の風景もとりいれてあるらしい。 次世代を気遣う区長の言葉  「地球を滅ぼすために原発やってんだか、処分場も出来ないうちになんでやんだかって あの精神が俺はわかんない」 もっともである。 この言葉がすべてを物語っている、

待機児童

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一億総活躍社会などという 聞こえがいいが全く中身のない言葉が叫ばれだしてだいぶ経つ。 今の日本の状況では どうしてそんな社会が実現できるわけ??と 言いたい。 女性が活躍できる社会、と言っておきながら 子供を産める環境になく 子供を産んでも預ける保育園がなければ 核家族では働けるわけはないのでは・・・・・? このブログの 「日本死ね」とは少々過激ではあるが 一生懸命生きようとしている若い世代の気持ちが痛いほどよくわかる。 このブログに対する賛同者が国会前で静かにデモをしたという記事も載っていた。 もう少しで東北大震災からまる5年。 このところ新聞には毎日被災者の現在の様子を載せている。 ほとんどの被災者は震災直後から何も変わっていない、少しも生活は良くなっていない、と言っている。 そしてまた原子力発電所の事故からも同じく5年たつが 未だにどこも責任をとっていないのはどうにも理解できかねる。 事故直後の報道で避難した浪江町の住民たちは 風によってもっとも放射能が飛散しているところに避難していたことになってしまって その後に急きょ病院から老人を避難させるのもバスを使わざるを得なくなり 3月だけでそのために亡くなったと思われる人が9人いるそう。 そしてまた 故郷の福島に戻れない人も3万人以上もいるという。 こんな状態の多くの国民がいるのに 「活躍」という言葉を使うことさえ、 不思議に思う。 復興のためにもっと多くの予算を使ってほしい、と思う。 追記 一つのブログの記事がこれほどまで 何日も続けてフォローされるとは・・・・ 恐らく 働きたくても子どもを預ける場所がなくて働くことが出来ない人が大勢いるということだろう。 これからの日本のためには 若い人に頑張ってもらはなければならないのだから もっともっと若い人を支援する方向へ向かってほしい、と思う。