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十年日記

有名な 土佐日記は 1080年前の12月21日から始まったそうである それになぞらえて日記帳のことがいろいろ新聞に書かれていた。 三日坊主という言葉があるが 日記帳を買い求めても長続きしない人が多いようで この記事を書いている人も長続きしないよう・・・・・・・・ 東京の85歳の女性が「十年日記 4冊目は・・・?」と 投稿欄に出していたらしい。 新たな1冊を買い求めるかどうか 思案しているということらしい。 こんな句もあるそう・・・・ 【ためらわず 十年日記求めけり】    水原春郎(ミズハラハルオ) 東京の女性は 私は見ず知らずの方だけれど どうぞ4冊目の十年日記をお買い求めください、と言いたくなる。 20年前に私が5年日記を買う時には 「あと5年後にも生きているよね…」と思いながら 思い切って買ったが 今回は そんなことなど全く思わず 当然のように5冊目の5年日記を購入した。 20年たって 自分はそれだけ厚かましくなった・・・ということか・・・・  (笑) とにかく私はメモ魔 45歳で運転免許をとった時には 毎日車で何㎞走ったか記録していたし  ウオーキングをしている時には歩数計の表示を記録していた。 家計簿もずっとつけ続けているし(ただし つけているだけ  全く反省もしないしその後の生活に活用もしていない(~_~;) )  読んだ本の題名や作者名を記録し続けたこともある。 山歩きをしだしたころは 出発時刻、頂上着時刻はもちろん 途中のポイント、ポイントでも書きとめている。  でも 次に同じ所に行くときにもあまり参考にすることもないのだけれど・・・・ なんだか 書いてさえおけば自分の気持ちが落ち着くというか・・・・我ながら おかしな人!!って自分でも時々思う。 1月18日追記 昨日の新聞に 「 五十余年  3年連用日記をつけている、 2冊購入して  1冊はその日の天気、気温、体重、忘れてはいけないことを書き もう一冊は随想帳、現実には出会うことのできない人と夢の中で出会えた喜びの情景、喜怒哀楽や自由律の句や詩を書きとめたり、 新聞や本で読んで心を動かされた文章を書き記しておく」 という 三重県在住80歳の女性の文章が載っていてびっくり。 上には上がある、3年連用日記は 5年日記に比べた

ゴクヒン

2年前の夏、大阪在住の友人SM氏が 北海道へツーリングに出かけるため 敦賀に向かう途中に我が家に寄ってくれた。 札幌にいるころの 夫婦二人共通の友人。 前日夜に 「明日昼頃に・・・」との連絡が入り 大あわて。 まず、急ぎ部屋の片づけ、そして昼食は何を・・?と思ったけれど あまり大したものもない。 近くの店で 魚を購入してきて 手まり寿司と 少しの煮物、お吸い物を なんとか彼がここに着く前に用意した 「せっかく 久しぶりに来てくれたのに 大したものもなくて…」と恐縮すると 食事をしながら お互いの子どもの頃の食生活の話になった。 私たち二人もSM氏も子どもの頃 大家族。 まず子供の頃 常におなかが減っていた~・・・と言うのは共通する。 「じゃがいも,買って来い、と言われ じゃがいもだけの 食事・・」 「納豆を混ぜた入れ物に付いているネバネバに ご飯を入れて混ぜて食べたかったのに 妹に先を越され、大泣きした・・・」 「昼もニシン、夜もニシン、明日もニシン、それだけ・・・・あのころニシンが大豊作の時期があったからな~」 「庭のオンコ(イチイ)の木の実を採ってざるに入れ ハラの足しになるような実でもないのに 一個一個、兄達と分け合って食べた」 「梨の木が植わっていたが  他の者に採られないよう まだ青いうちに採りに行き 自分で皮をむいて食べた~・・・」 「遠足だって 弁当は梅干しおにぎりだけだよ.水筒には水・・・・」 「皆が苦手だと言って鼻をつまみながら飲んでいた人もあったけれど 脱脂粉乳でさえ、俺はおいしかったよなぁ~」          etc. etc. ・・・・でてくる 出てくる  「おやじが 転勤ばかりで まだ官舎が決まっていないうちに引っ越し よその家の二階の6畳間に 家族8人寝たこともある」 「冬 寒いから 窓には外からビニールで覆い、 中からは隙間風が入らないよう 新聞紙をはさんでいた~」 「風呂なんか 2,3日に一回しかわかさないし、狭い風呂桶に 8人も入るんだから・・・」 「バスタオルなんか皆で同じ一枚使っていたよね~・・・」 その後わが夫の次の一言に SM氏が言ったヒトコトで 大爆笑!                                チャンチャン!!(*^_^*) 夫「バスタ

ユーモア

言葉や文章を使って 他人をウフフッと笑わせたりほっとさせられる ユーモアのセンスって大事だと思う。 どうやったら身につけられるのか 生まれつきのものなのか・・・ ユーモアのある人が周りにいたら 幸せに違いない。   川柳は ユーモアと関係あるのかどうかわからないが 新聞に載っている時事川柳にもいつも ふっと笑わせられる。 前日とかに起きた出来事をうま~く川柳にしていて いつもすごいなぁ、面白い、と思いながら読んでいる。 住友生命が毎年 「 創作四字熟語 」を募っていて 年末になるとその一部が新聞に掲載されるが いつも感心する。 自分が作ろうとしても出来そうでできないから・・・・ 4月消費税が8%になり《 五八至十 》 ゴハシジュウ かと思いきや 円安になり食材は 軒並み値上がり  《 日本低円 》 ニホンテイエン の光景 デング熱の広がりに 《 蚊無安全 》 カナイアンゼン を祈ったが 御嶽山の噴火には 多くの人が 《 安山祈願 》 アンザンキガン をした 危険ドラッグをやって車を運転するとは 《 危草千害 》 キソウセンガイ  である 《 剣嫌学学 》 ケンケンガクガク の マララさんが17歳でノーベル平和賞 でも、彼女の故郷や 《 瞬火中東 》 シュンカチュウトウ の各地で紛争がやまない 中国の会社が期限切れの肉を使った《 怪鶏処理 》 カイケイショリに驚いた アナ雪の大ヒット  世は《 雪歌繚乱 》 セッカリョウラン  ありのままに~♪  と 笑っていいともが 《 放送笑了 》 ホウソウショウリョウに 青色LEDを開発し、実用化した三人がノーベル物理学賞に。長年の努力の《 青光褒祝 》 セイコウホウシュウ  だ。                    ***    ******    ***    ***    ******    ***       住友生命とは関係なく 新聞には 次のような四字熟語も載っていた  なぜ今衆院選か、その《 晋三心理 》 シンゾウシンリ に頭をひねった 《 死票膨大 》 シニヒョウボウダイ  に棄権が半数近くとはいかがなものか?          ***    ******    ***    ***    ******    ***         

万華鏡

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万華鏡が大好き! どこかへ旅行していて売店でめずらしい万華鏡を見つけると すぐ買い くるくる回して 「わ~きれい」と しばらく楽しめる。 さすがにこの頃は 「物を減らす」 ことを心がけているので 新しいタイプの万華鏡でも じっと我慢して買うのをあきらめる。 自治会のサロンで 「万華鏡つくり」があった時には 作ってきて 家できれいな色セロファンや飴の包み紙などを中に入れ くるくる回して「わ~」とか「すご~い」とか言いながら 楽しんだ。 万華鏡折り紙があるのを知り 検索して折ってみた。 面白い!!おもしろい。 こんなことを考える人がいることに感動する。 そしたら 新聞にちょうど 「封筒で万華鏡を」などという記事が出ていてそれも試してみた。 仕組みはほとんど 一緒。 【算数力】 と書いてあるところを見ると やはりこの考え方は算数に関するものなのかな? 折り紙の他に広告の紙で作ったり 牛乳パックで作ったり・・・・ 説明を追加 牛乳パックで・・・ こんなわけで我が家は ものがあふれかえる!! でも、 冬休みに孫が来たら遊ばせて その後はなるべく処分しよう!  牛乳パックはもちろん折り紙もそれほどお金がかかるものでないので 捨てるのときにも あまり 心の負担がかからないから・・・・ 以下は 正月に息子が制作したもの (1.4追記)  12枚で折っている

自分自身を耕す鍬

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数日前 ノンフィクション作家杉原美津子さんが亡くなった、という。 34年前、東京新宿駅のバス放火事件で 80%のやけどを負い 生死の境をさまよって 何度もの手術を乗り越え 初めは不自由な体であったが その後日々の暮らしができるまで回復しそして 見事に生ききった人・・・・・・ この事件の時には ≪偶然報道カメラマンだった兄上がそばを通り 妹が熱傷を負っているのも知らず 撮影した、兄との関係はしばらくギクシャクした、  彼女が不倫中だったことがこの事故のため 母にばれてしまい しばらく母上との関係も悪化≫  などということを興味本位に知っていたが その後の彼女の活動については 知らなかったし 正直その事件のことも私の中では忘れてしまっていた。 新聞によると今年になってからNHKの ドキュメントでも放映されたらしいが 彼女は犯人を憎むこともせず 拘置所に行き 被告人とも話してきたとか。 図書館で本を借りて来た。 この7月に出版されたものである。 杉原さんは公判で見た被告の男を「かわいそう」と思ったそうである。 学校もろくに通えず、職を転々とする人生。 社会からさげすまれ それが男を犯罪に追い込んだのなら ≪自分も加害者である≫ と自問する。 80%もの やけどだから あちこちにケロイドができ 父上も母上も 「醜いから隠せ!」とまで言ったそうである。 病院に入院している時にはやさしくしてもらえたけれど いざ退院する、という時になったら 身近な人は「誰が面倒見る?」と とまどっているのが感じられた・・とも。 不倫していた男性の妻が癌で亡くなり 結局その男性と結婚し その彼は彼女を理解してくれたようだが その男性もストレスなどから後年は 認知症を発症し 彼女が介護することにもなった。 そして やけどの時の輸血が原因で 肝臓がんになり余命を宣告までされてしまったが それでも被告人を憎まない、で 被害者、加害者ということを考え続けた、そうで その意志の強さには びっくりするというか 感動するというか、適当な言葉がみあたらない。 体中のケロイドの痛みに耐えながら それでも被告人を憎まない、なんて・・・・・・ この本によると 何度も 公判に行き 拘置所に面会を求め 手紙を書き、 公判では被告人と目を合わせ 意思の疎通を図り

5年日記

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中学校の担任が 「日記をつけること」を勧めてくれた。 それ以来、ほとんど毎日つけている。 初めの頃は ありあわせのノート、初めだけ使って後ろが余白のキャンパスノートなどに書いていたが ある時、 5年日記というものがあるのを知り ふとそれに書いてみようと思いたった。 それまでわざわざお金を出して 日記帳を・・・というようには思っていなかったのだ。 2000円くらいだったかなぁ~ 「あと5年は生きていられるよね、まさか無駄にはならないよね」と自分を納得させて購入した。 今から20年前の今頃のことである。 40代の頃は あまり体調が良くなくて 「母は80歳近くても元気だというのに・・・・ もしこの先 母の具合が悪くなっても 私は看病にも行けないのでは・・・・」などと後ろ向きのことばかり考えていたクラ~イ暗い私だった。 それがなんと今度5冊目の 5年日記を購入しようとしている。 とりたてて意識はしていないが 当然あと5年は生きていると 信じているのかもしれない (*^。^*) 細かい字で たくさん書いてある 5年日記は 去年の今日はこんなことをしていた、おととしは・・・というように 前のことをちらっちらっと見ながら書くことが出来る。 この頃 物忘れが激しく いろいろ忘れていくが 書いてあるのを読むと あ~そうだった・・・・と 思い出す。 講演会や展覧会に行って感動したことさえ、忘れたりしているが 書き留めてあるとその時だけでも思い出すことが出来るので まあ、その役にはたっているか・・・・・な? しかし 2,3年前から 断捨離 とか 終活とかいうことが かまびすしく言われだし 私もそろそろ少しずつ ものの整理を・・・と思い始め 古着や古布、古毛糸などを捨て始めた。 それと一緒に 昔購入した本や日記帳も捨て始めた。 日記を捨てるときには パラパラめくって少し拾い読みをして ビリッと破っている。 この頃だってそうだけれど 昔の日記も大したことは書いていない。 思春期は片思いの人のことを書いてあったりして ちょっと懐かしかったけれど 後は〇〇へ △と行った、〇〇を食べた、おいしかった、〇△にこんなことを言われ悲しかった、・・・etc. ただ、子育て中は 今日◎がこんなことが出来るようになった、こんな言葉を発した、など 懐かしい