7年という月日
2011年3月あの東日本大震災で家族4人が津波にのまれたUE氏
2011年夏 名古屋から夜行バスで福島にむかったジャーナリスト笠井千晶さんは たまたま出会ったUE氏と たび重ねて出会ううち 心を通わせ450時間を越す撮影をし 2017年に映画化【LIFE生きていく】した。
それを 2020年書籍化したのがこの本。
裏表紙にこのように書かれている。
UE氏の言葉。
「ほんとに助けて欲しいって思ったときにはさ,来なかったねぇ、誰も。ずーっと置いてきぼりだ、ここは」
避難を拒み、仲間とともに行方不明の家族を自力で捜すUE氏の姿を、著者が7年にわたり丹念に取材した記録。
家族を、特に幼い我が子を失った悲しみを 全体を通して書かれており あの頃は「絆」とか「復興」とか叫ばれていたが 次第に報道されなくなっていく。
でもこの著者は被災地に通い続けているので現実が明らかにされている。
でもこの著者は被災地に通い続けているので現実が明らかにされている。
あの頃 「花は咲く」という歌があちこちで流されていたが 私が 歌詞に何か違和感というか、 落ち着かない気持ちになっていたのは あまりにも 被災者の気持ちを逆なでするようなものだったからではないだろうか…という気持ちがした。
「見つからない」のではなく「捜しにきてもらえない」場所にいる行方不明の家族を今も捜索し続けるUE氏の言葉 「誰かが探している限り見つかる可能性はゼロじゃない」
両親と長女(家の近くで発見されている)と長男を亡くし、妻とその後生まれた二女ととともに 瓦礫を片付けながら 長男を探し続け 思い出多い家を解体するまでの日々の中で
UE氏は 「俺はもともとそんな優しい人間じゃなかったけど 今自分が人にやさしくできるのは亡くなった人たちのおかげ」などと言っているが 本を読みながら こらえようと思っても嗚咽したことが何度もあった。
小学2年生の時に亡くなった長女、4年後「卒業証書を・・」との連絡が小学校から入る。
「成長した同級生を見るのはつらい」とさんざん悩むが 式に出ることに決め、 式当日 母親はてきぱきと礼服に着替え二女にも着替えさせた横で ネクタイを結ぶのに手間取っている父親UE氏。 「朝からもう2度も泣いているのですから…」と妻。
人前ではめったに涙を見せない母親だってもちろん 悲しみから抜け出してはいないのだけれど UE氏は子どもたちの思い出の部屋にさえ、入ることができないでいる。
「気が狂ったら困る!!」と言って・・・・・
小学2年生の時に亡くなった長女、4年後「卒業証書を・・」との連絡が小学校から入る。
「成長した同級生を見るのはつらい」とさんざん悩むが 式に出ることに決め、 式当日 母親はてきぱきと礼服に着替え二女にも着替えさせた横で ネクタイを結ぶのに手間取っている父親UE氏。 「朝からもう2度も泣いているのですから…」と妻。
人前ではめったに涙を見せない母親だってもちろん 悲しみから抜け出してはいないのだけれど UE氏は子どもたちの思い出の部屋にさえ、入ることができないでいる。
「気が狂ったら困る!!」と言って・・・・・
この時の多数の被災者には、そしてまた今回の熊本県の被災者等には それぞれに悲しみの様々なストーリーがあるだろう。
本人でなければ分からないことがあるのはもちろんだけれど このような自然災害で家族を亡くした人の心を 簡単な言葉で慰めようとすること自体 間違っている、ということを実感した。
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