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1月, 2020の投稿を表示しています

よろしくお願いします。

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「ぼけますからよろしくお願いします。」新潮社  信友直子 2018年に映画化された作品を 2019年秋に書籍にした信友直子さん。 85歳で認知症と診断された母、支える93歳の父のことを 映像作家である直子さんが それ以前の両親の生活とともに認知症と診断された人の心の機微をも詳しく書き連ねた本。 2012年ころから 「ひょっとして??」と思うことが多くなってきたらしいが 2015年のお正月に「今年の目標は?」の問いに対して 「人に迷惑をかけない年寄りになりたいです」とニコニコして言い、2017年には 「ぼけますからよろしくお願いします」と。    このお母さんの言葉をそのまま本の題にしたのだという。 これまで認知症になったら何もわからないかと思われていたが そうではなくて 本人自身も「自分は何かおかしい」などと自覚したり「迷惑かけるから死んだ方がまし」と思ってみたり そうかと思うと ほんの少し前に訪れてきた人と話しこんだことをすっかり忘れていたり(それどころか 訪れてきたことも忘れていたり・・) 両親は広島県在住、一方 直子さんは仕事の拠点を東京においていて「仕事が恋人」というほど夢中で 仕事をしている女性。 一人娘の直子さんに「心配せんでもええ。あんたはあんたの仕事をした方がええわい」と たまに帰省すると そう言ってくれたお父さん、この言葉は東京で大学生活を送ることになって直子さんが親元を離れるときからずっと一貫して言ってくれていたそう・・・ 自分の不安を「私、頭おかしゅうなっとるようなんよ。馬鹿になったんじゃわ」などと口にするお母さんに対して 「誰でも年とりゃあ、おかしくなるわいの」と励ますお父さん、直子さんが何度も書いている通り とても穏やかなお父さんのよう・・・ それまで家事など一切したことのなかったお父さんが 食事のこと、買い物、洗濯、掃除ゴミの分別、そして縫物などをこなし でも一切愚痴もこなさず毎日を淡々とこなしている。 この本を読んで 認知症と診断された人の心の中を知ることができたが それよりも 家族の絆というか、夫婦の絆、親子の愛などについて 深く考えさせられた。 あるきっかけにより テレビ局から「この夫婦の日常をテレビで流したい」との依頼があり [両親の許可を得なければ…」と恐る恐る切り出した直子

太陽のかさ

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13日に いつもの仲間が御池岳へ行ったが 私は参加できなかったため 親切なAG氏、「日曜日天気良さそうなので 行こう!」と誘ってくれた。 この頃の天気予報は あまりあてにならない。  きっと異常気象なのでこれまでのデータでは 計り知れないことが起きているからだろう。 「午後から崩れる」との予報だったが 帰りに悪天候になりそうなら急いで引き返せば…と思い、出かけることに。 鞍掛橋8時20分発。 いつものように登りは急登コースから。 私以外の三人は13日に同じコースを歩いているが 『あの時より気温は低いけれど風がないから歩きやすい・・・」と。 たしかに寒がりの私でも寒さは感じなかった。 「いい気持ち~」と思いながら歩く。 でも13日には「この辺りから少し雪が積もっていた」というところまで登っても全くゼロ。 でも 白山、御嶽山、乗鞍岳が見えてきたら 「雪がなくても楽しいよ~」 御嶽山 中央奥にかすかに・・・ 白山 やはり真っ白!!さすが白山 鈴北岳手前 丸山手前 御池岳頂上【1247m】までちょうど2時間20分。 看板と遠くの白山を・・・ 御嶽山 今度の方がちょっとはっきりしているかな? そのあと 10分ほどで奥の平へ。 ほんのちょっとだけ霧氷が・・・ 白山など見える場所で昼食。 またまた白山 二人連ればかり4,5組出会った。 下山中 後ろを振り返ると 太陽が大きな傘をかぶっていた。 天気が下り坂の時にこのような現象があらわれるらしい。 それにしても大きな傘だった。 丸山までの途中 3人がとても接近しているように写ったが 少しは離れている!! 左に写っているのは我々の仲間ではなくて 犬を連れたご夫婦のうちの一人 桜峠を通って鈴ヶ岳を経て鈴北岳から下山中だったらしい 残念ながら樹氷は見られなかったけれど 気持ちの良い山歩きだった。 車にもどるまで 慌てなければならないような天気の悪化もなくてよかった。 1000m級の山で今の時期にこんなに雪が少ないということは やはり地球温暖化のせい?? それとも今年が特別?? おそらくこの冬の間、あと何回か

25年

阪神淡路大震災が起きてから今日で25年。 もう25年も経ったのか、という思いと あっという間に25年!!という思いと… 最近は災害が多く起こるので 「常に 災害への備えを・・・」などと言うことが言われているが あの頃は 「まさか!!」「まさか神戸で!!」と思った。 5時46分我が家もふだんとは違う揺れを感じた。 ビックリして飛び起き 1階に下りテレビをつけ 寒かったから ファンヒーターのスイッチを入れ テレビの画面に見入った。 あとで考えたら 地震の時には何より先に ストーブやガス器具のスイッチを切らなくてはいけないのに・・・・今だったらそう考えられたかもしれないが 当時はそれくらい意識が低かった。 あの頃は今と違い、まだ携帯電話も普及していなかったし 現在とはずいぶんいろいろな面で状況は違っていた。 当日朝はまだ あれほどの被害が出ているとは思っていなかった。 数日後 同僚が被災していることが分かり 夫は「食料や下着を届けてくる」と 言いだし 私は全くお会いしたこともない人なのに スーパーで 下着を購入してきて運んでもらった。 奥様はどんな方かわからないのでLサイズとMサイズと混ぜて購入した。 JRは大阪までしか開通していなかったので その後阪急電車で途中まで行き そこからは歩いて彼の家まで行ったらしい。 車のついた旅行かばんは もちろん壊れてしまい 靴もボロボロ、 靴づれして帰宅したが倒壊している家々の様子をみてきた夫は 「テレビ画面で見ているとは大違い ひどい状況!!」と ひどく落ち込んでいた。 毎日のように被害者の数が増えてきて 最終的には6000人を超える人々が犠牲に。   ラジオ深夜便では昨夜から7時間連続で震災関連の放送をしてい今朝3時ころから寝床で放送を聞いた。 被災者の遺族の言葉を聞きながら ずいぶんたくさんの犠牲者とその家族のことを思い、何回か涙を流し 地震が起きた時刻には私も寝床で 一緒に黙とうさせてもらった。 ある調査によると 心境の変化として、「自分も誰かの役に立ちたい」という気持ちが強まった人が半数以上、「助け合うことの大切さに気づけた」という気持ちが強まった人も半数以上いたらしい。 このほか「震災での自分の体験を語り継いでいく必要がある」と感じている人が多くいて「震災のことが風化している」

アイゼンの落とし物

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明日から数日間天気が崩れる、という予報。 武奈ヶ岳へ…というお誘いをうけ、同行させてもらうことにした。 我が家7時出発。イン谷口から 8時10分発。 歩き出すとすぐ暑くなりそれぞれ上着を一枚ぬぐ。 青ガレ近くなったら 雪が少し・・・ 風がほとんどなくて歩きやすい。 青ガレの雪 正面谷には このようなツララが何ヶ所か・・・ 金糞峠近く 金糞峠までは先行者の足跡があったが その後は今日の一番は我々のようで  新しい足跡をつけながら歩く。 いつもの『武奈への近道』を登る。 キョロキョロ木々の上を眺めるがやはりキノコはもうなさそう・・・・  モリアオガエル 先頭者に踏まれたらしいが なぜこんなところに??? 冬眠していたのに昨日まで暖かかったから出てきていたのかしら 昨日この辺りも冷えて 少しミゾレ状のものが数回降ったので 比良の山も昨日の雪が積もっているのだと思う。 コヤマノ岳近くなったら真っ青な空に わずかな霧氷が見られ 「アイゼンをつけるほどの雪はないけれど 冬山気分を味わえ、 景色を見渡せ、今日はサイコー!!」といいながら歩く。 白山が 見える 伊吹山 これも白山 下に見えるのは 琵琶湖 もうすぐ武奈ヶ岳頂上 3時間10分弱で頂上に着いた。 御嶽山 乗鞍岳 が 見える せっかくの景色なのに 液晶画面がはっきり見えなくて よい画像を写せなくて残念 遠くの景色が見渡せ、「あれが〇〇ー」「あれが〇ー」と言っていると そばにいる人が話しかけてきた。 長野県(東御市 とうみし  ←全国難読市ランキングトップ)から来たという男性は 「100名山のうち90くらい登っているが 滋賀県の山に登りたくてここに来た」そうで 明日は霊仙山に行くとか。 醒ヶ井駅まで行ったらよい、との説明を受けていた。 もうひとり 京都からきたという女性には AG氏が 「ぜひ青葉山へ行ってみてー。あそこにしかない花が咲くから」と出身地の山の宣伝をし、 〇〇には ヤマシャクヤクが・・・・○○には キクザキイチゲが・・・〇〇にはクマガイソウが・・・と説明していた。 冬の武奈はいつも風が強いが 今日は穏やかで