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2月, 2019の投稿を表示しています

山歩きはいつも楽しい ♬

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私ども二人が行かなかった数日前にいつもの山で「どこかへ…」と話がまとまったようで 誘ってもらって 三重県の山へ行ってきた。 その時の予報では日曜日の今日だけ良い天気で その前後は不安定ということだったが 確かに今日の陽射しは春を感じさせられるほど・・・・ 入道ヶ岳(906m)へ。鈴鹿セブンマウンテンの一つ。 アセビで有名な山。 椿大神社(つばきおおかみやしろ)登山口より。 一応 アイゼンを用意していたが 駐車場まで着て「必要ない」と 車に残しておく。 二本松コース。 すでに数組の登山者の車があり 先を歩いているグループも見えた。 この山には何回か登っているがこちらのコースは下りにばかり使っていたので ある意味新鮮。 確かに登山道脇にずっとアセビばかり。 UE氏の言う通り 看板にあるようなイヌツゲはどこにも見当たらない。 イヌツゲ?帰宅後調べたら ツゲとは別物らしい。 登りだしてちょうど1時間半でピークへ。 ずいぶん大勢の登山者がいて 若いグループのはしゃいだ声が聞こえた。 仙ヶ岳 奥宮まで足を延ばし その後昼食は 鎌ヶ岳が見える場所で。 そこで「カマメシか~」というオヤジギャグが・・・・ 風も全くないし 寒くもなく 「あ~2月も終わりかー」としみじみ思う。 アセビ 蕾がついている木もあれば 全く蕾なしの木も・・ 鎌ヶ岳  目立つ! 遠くに綿向山 下山は 井戸谷コース。 雪が少しだけ残っている。 大勢の若者と連なって下りた。 下の方では 「ここはもう少ししたら ミノコバイモが咲くところ~」「このあたりは ジロボウエンゴサクが~」と言いながら もう少しで花見の山歩きを楽しむことが出来るのをイメージしながら歩く。 登山道を少し離れたところには 福寿草が咲いていた。 毎年3月に大量の福寿草を見ている我々は 「少しだけ~ ここは水分が少なすぎる」など言いながら見ていたが あとから来た若い子たち「かわいい~」「かっわいい~」「わ~すご~い」と連発していた。 初めて見たらそりゃ感動すると思う。 下山したら 11時45分。 「まだ昼前や~」 椿大神社には 

緊張しちゃった~ (>_<)

自動車の免許について高齢者講習制度が設けられたのは 2年前らしい。 高齢者が関係する交通事故(高速道路の逆走行、アクセルとブレーキの踏み間違え 等々)が 新聞に報道されることが多くなり 講習の機会が増えてきたのだろう。 確かに日々運転していても 基本的なことが守られていなかったり忘れていたりするので 意識を高めるためには 「講習」は必要だし意味のあるものだと思う。 今日「 認知機能検査 」を受けてきた。 この結果により「 合理化講習 (2時間)」または「 高度化講習 (3時間)」を受け そしてやっと免許を更新できるというもの。 今回一緒に講習を受けたのは15名弱だったが 何んと我が家の隣のご主人も一緒だった。 一般の認知症検査のように 「今日の年月日」や 「時計の目盛を入れ指定された時刻の針を記入する」などのほか 「たくさん並んでいる数字の中から指定された数字に斜線をひく」そして「16種のイラストを見ておき のちにそれを覚えているだけ記す」などの問題。 自分ではまだ認知症を発症しているとは思ってはいなかったが 「合格してもあまりギリギリセーフなら 運転をちょっと考えようか?」と考えていた。 40代で免許をとるときに 一緒に行った10歳若い人に比べて10時間くらい多く受講し、やっと合格だったし、講習中叱られてばかりいたから 鈍いのは自他ともに認めるところ。 しかし、運転をすべてやめてしまうと いろいろと行動が制限されてしまうし、免許返上するのも…と決心もつきかねる。 解答用紙に 住所氏名を書く欄があり ナントそこの住所に 「市」「番地」を書いたが その途中が抜けていた。 「県名はいりません。 市から書いてください」と言われたけれど 途中まで省略するとは  だいぶ上がっているということか… トホホホ・・・ 採点の途中に名前を呼ばれ 「記入を・・」と言われてしまった。 相変わらずのそそっかしさ!! 「まさか? これで認知機能が衰えているてってと判断されないよね?」とドキドキ。 一応 三段階の評価のうち 76点以上の「記憶力・判断力に心配ありません」だった。 もらってきた表によると49点でも「記憶力・判断力が少し低くなっています」で「高度化講習」でよいようなので まあまあか? 4月に高齢者講習をうけ更新したら 次は

狂言図鑑

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 いつもの山で出会う人が となりの市で狂言の公演があることを知らせてくれ、「ぜひ・・」と勧めてくれ 鑑賞してきた。 出演者の名前に 私でも知っている茂山千作さん 茂山宗彦さん がいる。 「おうみ狂言図鑑」とは 2011年から茂山千五郎家の協力で 滋賀県を題材にした新作狂言を制作し、今回9つ目の新作『 HOTAL・HOTEL 』が出来 この作品は今日が初公演。 他には 古典狂言 『 二人袴 』 『 柿山伏 』 広い会場だが入場者は せいぜい3~400人くらい。 狂言を鑑賞するのは初めてという人も多数いて 最初、あらすじをざっと・・・ 古典作品については 私もあらかじめ筋を把握してから出かけた。 落語でもそうだけれど 筋を知っていても おかしいところは笑えるし 楽しい。 私どもの少し後方にいた小学低学年と思われる子供が二人、きちんと理解していて ツボ(!)を心得ていて キャッキャッとよく笑うので感心した。 ひょっとしたら 何回か狂言を見に来ているのか、あるいは 家族か知り合いに狂言をしている人がいて そういう関係者かも・・? ほぼ2時間、とても楽しむことが出来た。 これまでの創作狂言の題名をみたら 『 MUKADE 』(2016年制作)がある。 ここムカデ退治で有名な俵藤太を題材にした小スぺクタル狂言だそう…機会を見つけてぜひ・・・ こういう催しも近くで開催されていても スルーしていることが多いのだと思う。 今回のように情報を知らせてくれる友人がいるのはありがたい。感謝! 以前どういう番組だったか忘れたけれど 子どもたちがにぎやかに戯れている場所で ①講談師の語り ②お坊さんのお経 ③?  (忘れた ひょっとしたら 文楽だったかな??) ④狂言 ①と②、③の時には全く無視していた子どもたちが ④の時には シーン!となって顔をそちらに向けたそう・・・ 確かに狂言の声の出し方は 独特で 聞いていて落ち着く。

オホーツクブルー

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この辻村深月さんの本を以前 読んだことがあり 心の奥深くまで登場人物のことを表現していてとても面白かったので(【朝が来る】確か養子縁組のはなしだった)図書館でこの本を手に取った。 400ページ近い大作だけれど あっという間に読み進むことが出来 最後には 涙があふれてきた。 劇団員だった夫がある事件のあと身を隠さなければならなくなり 連絡を取るすべを失ってしまい、小学生の息子とともに 日本のあちこちを逃げ回る早苗。 追われる恐怖を感じた早苗は 住んでいた東京を離れ 四万十市へ。 息子の転校する手続きもしないうちに 次々と逃げ回らなければならない状況に・・ 次は 兵庫県家島・・別府・・仙台・・女満別空港へ。 その土地ごとの風景の描写もすばらしい!! 各地で出会う人々の優しいまなざしと言葉遣い、事情をかかえているらしいと感じていてもさりげなく接し 何かと親切にしてくれる住民たち。 いろいろなことを経験するが 別府での日々のことをここに記す。 別府温泉では「砂かけさん」という仕事がある。 お客さんに砂をかけるのである。 温泉で温められた砂を全身にかけてもらうと 暖まるだけではなくデトックス効果もあるということを聞いたことがある。 早苗は 時給が高いのでその仕事につきたいと思ったが 一緒に面接を受けたもう一人は若くてはきはきしており 「きっと落とされる」と思っていたが 早苗が採用された。 その時 先輩が「 苦労しちょったり 何か背負うものがある人の方が強いよ 」と。 この言葉には私も納得。 また 仙台では 写真館の別室で過ごさせてもらうようになったが 写真を撮りに来る人の中にも 地震で家を失ったり 家族を失ってしまった人々がいてそういう人と接し、 自分たち以外にも住み慣れた土地を離れざるを得ない人がいることに気づく。 その時に写真館のお兄さんは 津波で汚れた写真などの修復をしていたが その言葉 「 写真の仕事は昨日と明日の仕事の両方がある 」 『 失ってしまった゛昨日”を取り戻す手伝いをする仕事と これからのこと ゛明日”の思い出を残していく仕事』  の両方。 あちこちと違う土地で生活しているうちに 小学生の子がだんだんたくましくなっていく様子もわかり 子どものかぎりない可能性を感じた。 着いたばかりの初めての土地、仙台

収穫(!)の喜び

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観察の森の第7回講座の日。 数日前から 日本全国大寒波と言われており 昨日夕方から 冷え込みがきつく 出かけるときから寒さが心配。 冬山用の巻きスカートをし、ネックウオーマーをつけ ダウンのベストを中に着てその上にジャンバーを着たものだからモコモコ。 車のハンドルも冷たくて 手が特別冷える私は 片手だけ手袋をつけ 運転して出かけた。 ひょっとしたら インフルに感染している子もいるかもしれないので 一応マスクをして参加。 しかし、子供たちはやはりたくましい。 全員がそろうまでの空き時間に ネーチャーセンターと 外を全員が追いかけっこをして楽しんでいた。 12月8日に作ったカベ飾りを上手にレイアウトしてくれていた。 4,50分ほど「春の きざしを感じよう」と 森の中の観察。 コセリバオウレン バイカオウレンも2輪あったが 遠すぎて写せず・・・・ ツルリンドウノの実 日本アマガエルの卵 2つの塊が見えている この画像の中央にも一つの卵の塊 ドングリ 落ちてすでに根を張っていて動かない この後芽を出し伸びていく そのあと 「シイタケの植菌」 50本ほどのホダ木に900個植えた。 コナラ、クヌギ、サクラ、ヤマグリ の4種のホダ木。 木に穴をあける人,菌を植え付ける人、運ぶ人。 皆協力し合って よく働いた。 全ての菌を植え付けた後は 日陰へ移動して 「本伏せ」 今回の菌がシイタケになるのには2年ほどかかるが 数年前に植菌したホダ木から シイタケがポコポコ出てきていて 子どもたちは喜んで持って帰った。 何年か前には 「キノコ、きらーい」「「いらなーい」などと言う子がいたが 今回の参加者は一つでも多くもらって帰ろうとする子が必死に探していてかわいい。

印弗魯英撒

インフルエンザが猛威をふるいすべての都道府県に警戒情報が出ている、と先週言われていた。 現在少しは減っているらしいが 昨日ラジオアナウンサーが 「中学の息子のクラスは 一度学級閉鎖になり、数日後やっと解除されたのに また学級閉鎖になった・・・」と。 大阪市内らしい。 やはり集団生活をしている人が 感染しやすいようで われわれ高齢者の周りにはあまり患者はみられない。 今年A型は2種、そしてB型との3種 類のインフルエンザに罹患している人がいて 最悪3回かかる人もいる…などと言う記事も見た。 マスコミが「人込みを避けるように」「手洗い、マスクをするように」というからだろうか スーパーに行くとマスクをしている人がとても多い。 挨拶されても誰??そんなことが何度かあった。 江戸時代、 印弗魯英撒 . (いんふりゅえんざ)  という病名で記載されていたらしい。 インド・フランス・ロシア・イギリスから撒き散らされた病というように考えられていたみたいで 輸入感染症と考えられていたとか。 その後1933年になって 原因となるウイルスが特定されたらしい。 感染力が強いので警戒しなければならないし、 子どもの異常行動(薬の副作用かと考えられていたが インフルエンザによるものかもしれないらしい)や 重症化するとインフルエンザ脳症、肺炎などを引き起こすというから やはり侮れないのだろう。

ツケ

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読書がすきだけれど はっきりとこれ!とは決まっていなく その時の気分によって本を選ぶ。 好きな作家数人のところに新しい本があればそれも借りるが 全くポリシーのない本選び。 きっと新聞の書評か何かで読もうと思って図書館で予約したのだろうと思うが 「はんぷくするもの」のことを 自分でもはっきりとは覚えていない。 順番が回ってきて 借りれることになったので借りてきて読んだ。 津波ですべてを失った主人公,毅。 わずか10畳のプレハブの仮設住宅で 細々と小売店を営むが 客の入りも少なく、母親からは「店を閉めた方がいい」と言われているのにやめる気にはなれない。 この店に来るのを楽しみにしている老女のためにグダグダと思いながらも店を閉められず、また ツケ買いして お金を支払ってくれない古木という男性のところへ何度も集金に行こうと思うが そのたびに 毅にとっては不吉と思われることが起きて 集金にも行けない、そのくだりが何度も繰り返される。 おそらくこの主人公は強迫観念にとらわれているのだろう。 震災後のさびれた町での閉塞感というか、やりきれなさ、というか・・・ 第55回文藝賞受賞作だという。 文の運び方は なんとなく素人(!)っぽく感じたが・・。 「はんぷくするもの」という題は せっかく母親がツケの分を取り返したというのに また借りに来た古木との繰り返しの意味だろうか。 薄くてすぐ読み終えたが せつなさが残る本だ・ 今でも「ツケ」買いなどできる店はあるのだろうか。 久し振りの言葉「ツケ」で子供のころを思い出した。 昭和20年代、我が家は近所の店でツケ買いしていた。 母に「酢を2合(ℓでも㏄でもない!)買ってきて」とか言われて 約100mあまり離れた店へ 家から瓶を持って買いに走った。 そういえば「えちごやさん」という店だった。 今のコンビニというほどではないが いろいろな品物をそろえてあり よくそこで買い物をした。 あの店主夫婦、その息子さん夫婦の顔を今でも覚えている。 ちなみに「越後屋さん」だろうか。 調べてみたら「越後屋」は「現在の三越の前身、江戸時代の豪商」とあった。 関係あるのかないのか‥?  

カビを寄せ付けない!!

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なんでもやってみたい方なので 以前 手づくりみそを作っていた。 もう20年近く前になるかもしれないが 4,5年間ずっと2月の寒い時期に仕込んでいた。 最初は 市の「生活学校」なるところへ行き やり方を習い、 そのための大きな甕を買い 家中大豆くさくなるほど 豆を煮てつぶし・・・ しかし2年ほど続けて表面にカビが生えてきて 上の方1㎏分くらい捨て カビが生えると味もぐっと落ちるもので「せっかく苦労して作っても こんなに無駄になるのはもったいない」と思い、 あきらめ、その後気にいったおいしい味噌も手に入るようになったので最近まで作るのをやめていた。 このところ身の回りのものの処分を始めたが 台所には大小合わせて5つの甕がある。 親しい人にもらってもらおうと声をかけたが 欲しい人はおらず それじゃぁ 市内の交換銀行に登録しようと考えていた。 でも ふと気づいた。 みそづくりをしていたころに比べたら 今の方がずっと時間がある、単に面倒でやらなくなっている自分を恥じ 甕を手放すことを考える前に もう一度みそ作りに挑戦しようと思いたった。 ネットでいろいろな人たちのブログを見、それを自分なりにアレンジして 昨日みそを仕込むことが出来た。 大豆1㎏ 2日間水につけ4時間煮た 指で挟むとかんたんにつぶれる 塩320g 9分搗きこうじ 850g 塩とこうじを混ぜたところ 人肌に覚ました大豆をつぶし 塩とこうじを混ぜたところ 上のものをボール状に・・ 空気が入らないように ボール状の塊を入れその都度しっかり押さえる 和紙を大豆の煮汁で湿らせ 貼り付ける その上から「からし」を周りに塗る そしてラップでしっかり押さえる 重し 砂利の重しは重さを調節できるので重宝 袋に入れてラップの上に隙間なく重しを置く ここまでやったら カビも大丈夫なのではないだろうか。 以前のみそ作りの時には 大豆をつぶすのに手間どったが 今回、長時間浸水させ じっくり煮て柔らかくしたので 簡単につぶれた。 ネットでは 「和紙を水に湿らせ しわしわにして貼り付ける」とあったが 「水」に抵抗があったので たくさんある煮汁で湿らせた。 さて? どうなることか。 おいしさに