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あみ 編み 編み

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編み物が好き! 器用ではないので あまり上手にできないが 編み物をしているとほっとする。 洋裁と違って 失敗したらほどいてやり直すことができるので私にはむいているのかもしれない。 もう物は増やさないようにしようと思っているので 最近では新しい衣服は極力買わないようにし 布や毛糸も今あるものを使うようにしようと思っていた。 しかし 手芸店で素敵なベストを見てしまい、 自分にも編めそうに思えたので糸を購入してしまった。 そして編み図をもらってきたが その編み方ではどうしてもうまくいかない。 掛目や増やしめの穴あき模様で素敵だったが 何度やり直してもできず 仕方なくあきらめた。 糸を買ってしまったので無駄にはできないし なんとか私にもできる棒針編みの素敵な柄はないかしら?とネットであれこれ調べているうちに 見つけたのがこれ!「カタツムリ帽子」 なんと丁寧な説明がついていて 私にもできそう!! 早速古い毛糸を出してきて編んでみた。 これでどうしてカタツムリ模様になるの?と思いながら一気に編んだ。 なるほど・・・・・こういうことか・・・・考える人はすごい! いつものことながら一つできるともう一つ作りたがるのはいつものことで もう一つ編んだ。 左が先に編んだ方 画像にしてみて 初めて気づいたが 巻き方が反対だなぁ~ どっちのほうがいいのかしら? 数日前 道路で見かけた女性、なんとカタツムリ帽子をかぶっていた!! それも 最初に編んだ私の糸の色とよく似ている。  折り返しをたくさんしていたので 逆向き渦巻きになっている赤っぽいところがすごくはっきりと目立った。 今年 これは流行なのかなぁ・・・・モンペをはいたおばさんがかぶっていた・・・ なんだか それまでの楽しい気持ちが・・・・・(ー_ー)!! 機械編みを習っていたころからのたくさんの毛糸の残りや セーターなどをほどいて保管してあったものを ひざ掛けにした。 ほどいたものはあちこちつないであって継ぎ継ぎだらけだけれど・・・・ 色もあるものでそろえているのでにぎやかすぎる! でも 楽しかった~

雪の事故

何でも過ぎてしまえば 忘れてしまうものである・・・・ 今年3月北海道は多くの地で雪の事故が相次いだが 湧別で 52歳の父親が9歳の娘をかばう姿で 大雪の中、凍死した。 この少女の母親は数年前に亡くなっており たった二人暮らしだったという。 このことが報じられた当初は 身寄りのなくなった少女を案じ 大雪の中で必死に娘を助けようとし自分が犠牲になった父親に涙した、のであるが 数か月たったらこのことはすっかり忘れてしまっていた。 身寄りのなくなったこの少女は 現在親族の女性にひきとられているらしい。 このたび、その親族の女性が全国からの励ましにこたえて 新聞社にお礼の手紙をよこしたという。 夏に10歳になった少女の現在の様子を書き加えたその感謝の手紙の筆跡は とても美しい。 どういう親戚関係の方かわからないが そのような子を引き取って育てていこうとするのは はたから見るのとはまた違った苦労もあるのでは・・・・と察する。 成人になるまで ともに頑張る!としたためられていたようだが どのくらいの年齢の方なのかしら…と思ってしまう。

癌  「本物」  と  「もどき」

若いころ 癌がとても怖かった。 ちょっと胃の具合が悪くなると 「もしかして?? 胃がん?」 と思って なおさら痛みが増し 診察を受けなければ 気が済まなかった。 それが 胃にポリーブが見つかり 大腸にも 特大のポリーブができ 続けて内視鏡で切除してもらった。 大腸のポリーブは そのままにしておくと ひょっとしたら癌化したかもしれない!とまで言われた。 その結果を聞いた時に「癌」という言葉が出て来たにも関わらず 平静を保って居られたのが不思議だった。 その後かれこれ20年たつ・・・・・ 年をとると 病気になる可能性は ずっと多くなるはずなのに このところ なんだか「元気だから大丈夫!」と へんに自信!!ができてしまい 検診もあまり行きたくなくなってしまった。 以前から 慶応大の医師「近藤誠」さんの 考えを新聞記事や 雑誌の広告などで見ていたが 2013.12.15の朝日新聞記事に 「医者に殺されない47の心得」がベストセラーになったこと、 それで近藤医師と この考えに反対する第一線で活躍する 「腫瘍内科勝俣範之」の論戦記事が載った。 勝俣医師は 近藤医師の主張は一部患者に当てはまる「仮説」であるとする。 近藤医師は「自覚症状なければ 治療は不要」とする。 検診で早期発見されてもその時点で転移がすすむ「本物」と 転移しない「がんもどき」に分けられるというのだ。 本物は基本的に抗がん剤で治らず 手術はがん細胞の増殖を早める恐れがあるから治療は無意味だ、というのだ。 近藤医師の考えだと 何も自覚症状がなければ 検診など必要ないことになる。 「もどき」は転移しないから 治療の必要がないというのだ。 う~ん 悩む! 近藤医師の考えに賛成したいが ひょっとして早く見つかってさえいれば…などという状況に自分は絶対にならない!という保証はどこにもないからだ・・・・  

考え方 いろいろあって当たり前 !

私達がしょっちゅう行く山は とても人気がある。 常連さんは数知れず・・・・・ 土曜日曜になると遠くからの山ボーイ、山ガールはもちろん家族連れ、子供連れも登る。 したがって登山道は 荒れてくる。  中には堅い道を嫌い 森林の中ばかり選んで歩く人もいて  いろいろな 道ができてくる。 それで あまりに危険なところを夫が 修理している。  段状になっている部分の支えの木などを 山の中の 枯れ木(と言っても完全に枯れている木はすぐ腐るので 倒木のなかで まだ比較的に新しくて強そうな木をえらんで・・・・) 楔にしている。 しかし、 自然のままがいい!修理をしないでほしい!というような意見を持つ人もいて 修理したところの木をわざわざ 外し 遠くに放り投げてあったことも一度ならず・・・・ 趣旨を理解できなければ無理もないこととも思う。 そしてまた 登山道の落ち葉を折りにふれきれいに 掃く人もいる 私は 落ち葉を踏みしめながら歩くのが好き。 濡れた落ち葉は 雨のあと 滑って危険ではあるが 落ち葉は 自然が良いのに~~と思ってしまう。 今日の新聞にこんな句が載っていた。 ≪なぜ掃くや 落ち葉積もりし豊かさを≫ 横浜在住の方の句である。 山の中のことではなく 道路のことであろうか・・・それとも 落ち葉とは 単に枯葉の落ち葉だけのことではなく もっと違う意味が踏まれているのかな。

明日はヒノキになろう!??

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アスナロという植物がある。 俗説なのかもしれないが 「明日は立派なヒノキになろう」というところから名づけられた、と聞いたことがある。 確かにヒノキに 似た葉ではある。 しかし アスナロの成分は 健康に役立つものも含まれているらしいし、 ヒノキよりも幅広く分厚い立派な葉、そして 葉の裏を見たらそのきれいさにはビックリする。 アスナロ自身は  「ヒノキにならなくてもいいよ~~~」と思っているかもしれない。 アスナロの葉の裏 白い色が素敵で みんなで万歳をしているようにも見えるよー アスナロは 耐湿性と殺菌力に優れているため 最高級の まな板 材らしいし  わっぱ などにも使われているそうだ。

60年後!!?

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生まれたばかりの赤ちゃんが病院で取り違えられる!!  そんなことがあるの?  と思ったのは 私が中学か高校の時ではなかったか・・・・ それは4歳の時に取り違えに気づき お互いに産みの親に所へ帰った・・・ その時のことを思い出しながら 福山雅治主演の映画「そして父になる」を見た。 親は非常に苦悩する、ということは容易に想像できるが この映画を見て そんな生易しいことではない、もっともっと計り知れない苦悩に満ちた悲劇!と考えさせられた。 いまニュースになっているのは 60年前に取り違えられた男性が DNA鑑定で 取り違えであったことを 確信したそうで 裁判所は 「その無念の心情は察して余りある」との判決。 実の両親は 本当のことを知らないまま亡くなってしまっている。 真の親子として会う機会は永遠に断たれた。 今回、明らかになった取り違えの事実は 両方の家族の経済力に大きな差があること。 「そして父になる」の設定も 教育一家と自由奔放に育てている家族の間の取り違えで 経済的にも大きな違いがあるように描かれており よく似た設定であることに びっくり!! 60年前の真実を知った男性の衝撃は計り知れない、果たして 知った方がよかったのだろうか…という気もする。 いずれにしても 取り違えた病院の 罪の深さを 思う。 このような事件に巻き込まれた世代より少し前、 我々が生まれたのは 自宅にお産婆さんが来てくれ おばたちがお産をする母の代わりに 家事を引き受けてくれたりお産の補助をしてくれたり…という時代だったから 取り違えられる可能性はなかったが その後数年の間に 産婦人科医のもとでの出産が当たり前!になってしまったからこういうことが起きるのだろう。 きっと これ以外にも多くの取違え事件があり しかし本人たちも周りも気づいてない、という事例がたくさんあるのではないか・・・・・ 今後こういうことは決してないように・・・・・切に願う。

ファンタジーの世界

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藤城政治さんの影絵展に行ってきた。 数年前京都で開催された時にも見せていただいたが 現在89歳になられるのに 被災した陸前高田まで出かけてそこでデッサンして作られた作品もある、ということで 遠い大阪での開催だったが 出かけた。 大勢の人が…ということだったので開場の時間に合わせて入場したが やはり作品の前には大勢がたっていて説明文を読むためには 少し待って居なければならない・・と言うような場面もあった。 若いころ季刊誌「暮らしの手帳」をずっと購読していたこともあって ずいぶん昔からなじみのある作者だけれど 長期間にわたって このような細かい作品を次つぎと生み出し 現在も創作意欲に燃えておられることにまず敬服する。 京都で開催された時に見たと思われる作品はほんの数点。 私が忘れてしまっているのかもしれないが それ以降に作られた作品も多くあったので とにかく 作品数が多い、ということだと思う。 とがった鼻、横向きの丸くて大きな目に違和感を感じる人もいるようだが 光を取り入れたカラフルで 夢あふれる作品はやはり見ていると感動する。 猫をはじめ動物や 小さいものがお好きなようで ある時期猫を30匹も買っていたこともあったとか・・・・ いろいろな場面に猫ちゃんが登場する。 そしてそして 小人をモチーフにした作品も数多くある。 「人は 皆小人を一人持っている 小人は人生のパートナー 誰にでも話しかけ 喜びも悲しみも分かち合ってくれる」とのコメント。 また 被災地の作品には 「 がれきの中から がれきを超えて 新しい未来が必ず生まれるでしょう」と・・・・・・。 こんな数かずのメッセージには 励まされた。 作品を見終わった後 売店では多くの人々が絵葉書や額を買い求めていた。 LED電球で後ろから照らし  より一層 作品のイメージに近い素敵な額、25万円ほど。 A3くらいのサイズだったが やはり そんなのは残念ながら買えない。

雲海

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雲海がきれい!ということで わざわざそれをめがけて 出かける人もいるようである。 私はそういう趣味はないが 先日いつも登っている三上山で 素晴らしい雲海を思う存分眺めることができた。 雲海は 湿度が高いときに 放射冷却によって地表面が冷え 風の流れがない時に空気がその場にとどまり 冷却され続け 飽和状態になって 空気中の水分が霧となり それが山頂などからは 海のように見える、のだそう。 春や秋に現れやすいようだ。 三上山の頂上から 琵琶湖側をのぞむと 遠くの山が少し見えるだけの雲海。 時には晴れて 近くの工業団地などが見えたりしたが こんなに広範囲の雲海を見ることができたのは初めて。 反対側の花緑公園側もきれいだった。  伊吹山は遠すぎてかすんでいたが 山々が見えたり隠れたり・・・・・素晴らしい眺めで しばし見とれた。 30分くらい眺めていたかな。 残念だったのは ほぼ毎日持ち歩いているカメラをその日に限って持っていなかったこと。 でもその分 あの美しさが今もこの目に残っている。 携帯電話で写真を撮ることはめったにないので こんな写真しか写せなかった  (ー_ー)!!

種なし柿

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秋になると毎年楽しみにして干し柿をたくさん作っている。 干し柿用の渋柿は 収穫の際 吊るしようの枝をきちんと切らなければならないようで手間がかかるのかなかなか手に入りにくい。 道の駅などで 予約しておいたり その時期にあちこちの道の駅に探しに行ったり・・・・ それ用の柿を用意するのがなかなか大変。 その後 皮をむき 熱湯に10秒か15秒くらいつけてひもでくくり鳥の目につかないような所に干す。 その年によって 小さい柿なのに種がたくさんあって 干し終わり食べてみると あまりの種の多さにビックリ…手間がかかっているのに 食べる部分の少ないのにがっかりしたこともある。 今年の秋は 三上山のおなじみさんからたくさんいただいたりしたのも合わせて 100個以上干すことができた。 孫の誕生日に送ったら 「おいしい! どうして種がないの?」 との質問。 スイカやブドウのように 改良されているのかと思ったら 柿に関しては種類によって種がなくても子房が膨らんでくる種類がありそれがいわゆる 種無し柿のよう・・・ ブドウのように改良されたため 種無しになっているのもあるのかもしれないが・・・

雨乞岳 千種街道の崩壊

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甲津畑から雨乞岳に登った。 歩き始めに一緒に登りだした男性、なんとこの春にも歩き始めから2.30分一緒にしゃべりながら歩いた 伊賀から来た人。 不思議だな~ たくさんの山があるのに同じ人と同じ山で出会うなんて・・・・   千種街道は 昔滋賀と三重を結ぶ重要な道路だったようだ。 看板によると 東海道と中山道をつなぐ役目をした・・・・と言うような記述もある。 しばらく歩いてびっくり。 林道のあちこちに崩壊しているところがある。  この山は 木を切り出した跡や下草を刈った跡があり 作業用の車がかなり上まで登っているのを見たことがあるが 今日のような状況では ほとんど不可能に近いと思う。  もちろん 修復するだろうがかなりのお金がかかりそう・・・ 岩がたくさん転がっていて そこまで水がつき岩がころがってきたのだろうと推測できるようなところがあった、恐らく9月の18号台風のせいだと思うが これまで10年以上ここには何度も来ているが こんなに崩壊したのは初めて! それだけ今回の台風は 滋賀県に大きな被害をもたらしたということだと思う。 この幅だと車はとうてい通れない この橋の上まで水がついたのだろう 山道のほうの被害はそれほどでもなくてほっとした。 ほんの少し橋が壊れていたり 大木が倒れているところもあるにはあったが・・・・・・ 杉峠を経て 雨乞ピークまでは 笹の丈がずいぶん高くなっていた。 雨乞、東雨乞ともにたくさんの人。 我々はすぐに南雨乞から 清水頭を経て 大峠に向かう。 ここから見える谷筋の紅葉は素晴らしかった。 どこもここも赤、黄色、緑… やはりモミジの色が一番きれいかな。 竜胆が あちこちにあった リュウノウギク 今回の山行ではカマツカの実が目立った ムラサキシキブ 千種街道で帰り道に見つけた シャクナゲは来年春のつぼみをたくさんつけていた。 でもここのシャクナゲは5月末でないと開花しないので その時期は ヒルの時期だから やはり見られないだろう。 大峠を経て ツルベ出会 のコース。何度も渡渉するが水はそれほど多くはない。 助かった~ 実質歩いたのは 6時間半ほど

友人の舞  詩舞

長年 体操の指導をしていただいている方が 市の文化芸術祭で 詩吟に合わせて舞う、とのことで数年前から 鑑賞させていただいている。 詩吟はもちろん知っていたし 吟詠している人は何人も知っているが 「詩舞」というものの存在はそれまで知らなかった。 袴をつけ 一人で舞台を凛々しく舞う姿は 感動する。 詩に合わせ 日本の心を表現するものらしい。 そして一緒に体操をしている仲間が 彼女の詩舞の際に 吟詠する。 その彼女はとてもおとなしく わが体操クラブの大阪発表会にも 一度は出場すると宣言したものの その日が近づくにつれ 「皆に迷惑をかけたら・・・・」という思いが強くなって眠れなくなってしまい 結局出場を取りやめてしまった・・・という繊細な気持ちの持ち主。 その彼女が舞台上で 朗々と吟づる姿は 感動した、というか びっくりした。 よく通る声で おなかの底から気持ちよさそうに 吟じていた。

災害弱者とは?

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次のような条件に当てはまる人を災害弱者というのだそうである 自分の身に危険が差し迫った時、それを察知する能力がない、または困難な者。 自分の身に危険が差し迫った時、それを察知しても適切な行動をとることができない、または困難な者。 危険を知らせる情報を受け取ることができない、または困難な者。 危険をしらせる情報を受け取ることができても、それに対して適切な行動をとることができない、または困難な者。 あの東日本大震災の時に 被災した自閉症の少年が 避難所で ピアノを弾いて他の被災者を励ましたという  この 「まさき君のピアノ 自閉症の少年が避難所で起こした小さな奇跡」 ブックマン社   の本は 「絶望の中で誰かの役に立つこと」「たくさんの悲しみの中でも笑顔を忘れないことの大切さ」 を教えてくれるという。 誰もが疲労の限界を越え どうしようもない気持ちに襲われていた時に 「人々に勇気を与え人々の心を癒したのは 「僕がラジオ体操をひいてもいいですか」と言ったまさき君の言葉だったという。

ラフターヨガ って???

市の研修で  ラフタ―ヨガ  があった。 ラフタ―ヨガってなあ~に??  ひょっとして笑いながら 猫のポーズなんかするの??とか思いながら参加した。 1995年にインドで 提案されたもののようだ。 笑うことは 心を開放しいろいろな意味で 健康に役立つ、ということを 聞いたことがある。 今日受講して感じたことは 心の底から笑うのではなくても 作り笑いでもいいそうだ。 今回は ◎ 片方にコーヒーの入ったコップ、片方の手にはミルクを持っていると仮定して        飲む格好をして おいしかった~とハ ハ ハ とわらう。      ◎ 皆で輪になって手をつなぎ ハスの花びらになったつもりで 開き ハ ハ ハと笑う。      ◎ チアガールになったつもりで ひらひらさせながら 向き合う人々と ハ ハ ハ と笑い           あう。   こんな ミッションだった。 ラフタ―ヨガは  ① 手拍子と掛け声   ホッホッ ハ ハ ハ         手を叩きながらすることで手のツボを刺激することにもなる  ②深呼吸  残気(肺に残っている古い空気)を追い出す         笑いとヨガを組み合わせることで 簡単に多くの酸素を取り入れ         心身共にすっきりさせることができる    ③子供に戻るおまじない         無邪気な心を思い出して 心を開放させることで右脳を活性化させることができる  ④ ラフターエクササイズ         さまざまなエクササイズを実践する         この世の垢を脱ぎ捨てる こんな説明があったので 記録しておく ラフターヨガの基本要素は4つ 1. 笑いを誘う「ラフターエクササイズ」、2. 手拍子とかけ声(ラフターエクササイズの終わりの合図)、3. 深呼吸、そして4.子供の様な無邪気な遊び心を思い出し、心を解放することです。 エクササイズの方法はグループで笑います。 最初は作り笑いから始まりますが、目を合わせたりしているうちに伝染し、気づいたら自然な笑いに生まれ変わります。 ラフターヨガは笑いとヨガの呼吸法を同時に行うことができます。 笑いとヨガの呼吸法を組み合わることで、誰でも簡単に多くの酸素を体に取り入れ、心身共にすっきりし元気になることが

名刺の肩書き

我が家は結婚以来ほとんど朝日新聞を購読している。 天野祐吉さん、なくてはならない人だった。 この頃はNHKのラジオ深夜便でも さまざまなゲストを迎えて対談しそれをストリーミングで 翌月に聞かせてもらえるのでとても楽しみにしていた・・・・・ それなのに 昨日の新聞に突然の訃報! えーーーっ?ていう感じ。 肺炎で入院して間質性肺炎になり死亡したらしい。 すごく残念。 ≪いまの世の中、「違いがわかる男」じゃないと、バカにされる。モテない≫ これが30年近く前のコラムの書き出しだったそうである。 【コマーシャル天気図】では 毎回「ところで話は変わるが…」という出だしで始めた。 すると読者から「話が変わる・・と言うのは何か話していてそれを変える言葉であって云々・・・」とクレームがついたり あんなふざけたコラムは朝日新聞の恥部である、とまで言われたそうである。 もちろん それには構わず 同じ調子でコラムを続けたという。 記事の中で「新聞を読むのに僕のところから読む人はいないでしょう、どこかほかの記事からこれを読むのであって・・・・」という ことも書いたらしい。 今日の朝日川柳    ◎ 天気図を町の微風で書いた人    ◎ 達人の鮮やかすぎる店じまい            いずれも天野さんのことである。 最近は 名刺の肩書に 「隠居」と書いたという天野さんである。 隠居・・・・天野さんらしいな。 ご冥福を祈らせていただく。

どれがぺてん??

我が市の そして私が愛する山は 以前はマツタケ山と言われていたらしいが 松くい虫にすっかりやられてしまって アカマツがほとんどなく マツタケがとれなくなって久しい。 いえいえ マツタケがある場所を知っている人が登山道からどこか奥の方に入って たくさん(数本?)のマツタケを収穫していくということも聞くことはある。 しかし・・・・ 今日こんなことがあった。 下りてきたところで イノシシ除けの柵を閉めようとしたら 18号台風で壊れかかった部分がなおさらおかしくなっていたので 金具をガチャガチャとしていたら 「これから下りるんだから閉めるな」と どこかのおじさん! すごく横柄な態度!! 「ここはこれでいいんだ」とのたまう。 ちょっとムッとしたがそのままにして自転車のところに戻ろうとしたら 「いつも来ているのか?」 「しょっちゅう来ている・・・」 「マツタケは採れるのか」 「ないと思う。奥に入ればあるのかもしれないが 簡単には・・・・」 そしたら そのおじさん、後から下りてきたガイドさんに向かって 「マツタケ、ないってこの地元の人が言っているよ。マツタケ狩りのツアーなのに ぺてんだ~~」と。 ガイドに 「ないとは言ってませんから・・・・簡単には見つからないって・・・・」 と私。 するとガイドは 「あの人は朝からずーっとあんな口のきき方です。覚悟していますから…」 そして 「マツタケを見つけるのは 宝くじに当たるようなものって最初に話していますから・・・」 しかし ◎◎ツアー会社は 他のどこかにも寄る旅行だろうが ≪マツタケ山に登る≫ を 売りにしているのだろう。 それは やはりぺてんではないだろうか・・・・ 長い時間山に入るのならともかく 上までも登らず 短い時間に下の方で探すような そんなマツタケ狩りってあるだろうか・・・・・ それを信用して ツアーで来た人も どんなものだろうと思う。 しかし この山へのイメージも悪くなるし そしてわが市も評判を落としたことは間違いない。 看板に大きく【今の時期にはマツタケ初穂料として500円】と書いてあるのだから・・・・ 気分が悪くなった。 しかし 東京オリンピック招致のために 日本の代表である安倍首相が「福島の原発は 制御されている」と 放射性物質が 漏れているのを隠し

本当のカッコよさ

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数日前 やなせたかしさんが 亡くなった。94歳だという。 「アンパンマン」で有名なやなせさんだが遅咲きの人だった・・・・らしい。 売れなかった時代に「 一寸先は光 」という言葉を心の杖にしたとか・・・・ “一寸先は光” なんてよい言葉だろう。 これはやなせさんの作風に活きているのだと思う。 アンパンマンは自分の顔をちぎって ひもじくて困っている人を助けるがそれは子供時代のやなせさんの経験がもとになっているらしい、 高知で育った子供時代出かけた帰りに電車賃を落とし へとへとになっていた時に 知り合いのおじさんにアンパンをもらって元気をだす/・・・・それが原点だという。 アンパンマンは相手を一方的にやっつけはしない。  絶対的な正義などない、という持論は 戦争での出征体験によるという 声高な正義は嘘くさい。 本当の強さはやさしさだ と,気づかせてくれるストーリーである。 かっこよくない正義のヒーローを生み出したやなせさん この人こそ 本当にかっこいい。 アンパンマーチを聞くと励まされ涙が出てくるが やなせさんの精神のすべてが盛り込められた歌詞だからかもしれない。 アンパンマン そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも 何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。 そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも。 嗚呼アンパンマン優しい君は 行け!皆の夢守る為 何が君の幸せ 何をして喜ぶ 解らないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を 零さないで涙 だから君は飛ぶんだ何処までも そうだ!恐れないでみんなの為に 愛と勇気だけが友達さ 嗚呼アンパンマン優しい君は 行け!皆の夢守る為 時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえどんな敵が相手でも 嗚呼アンパンマン優しい君は 行け!皆の夢守る為

熊!!あらわる   そして 山を守る使命感!

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いつもは 福井県側から登る夜叉ヶ岳に 今日は 岐阜県側から登ることにした。 8時半ころ駐車場に着くと すでに車が10台ほど。思ったより少ない。 ブログで見ていた幽玄の滝などは 期待していたのはちょっと違ったし 夜叉の壁もふだん 鍛えている我々にとっては どうってことないなぁ~ 90分くらいかかって 三周ヶ岳分岐点に着くころには 風が相当な勢いで吹いていたので休憩なしで 三周ヶ岳へ・・・・・ 幽玄の滝 ダイモンジソウ サワフタギの実 前を歩いている人が見えたが その人が立ち止まって「20年くらい前に来た時とは違って 笹が生い茂っていてひどいので やめることにする・・・」と。 確かに 笹が生い茂っているが このごろ私たちがよく上る鈴鹿山系には鹿が笹を食い荒らして まる禿になっているところが多く むしろ 喜びながら笹の中を歩いた。 リンドウがたくさんある。 すこし咲き終わりの感もあるが・・・・・ せっかくだから一緒に行きましょうと誘い しばらく歩いてちょっと休憩していたら上から男性が来て 「三周ヶ岳の頂上からもう少し向こうへ行きかけたら 熊がいたので逃げてきた・・・」と かなりあわてた様子。 びっくり!!  せっかくだが我々も少し先の見晴らしの良いところまで行き、 やむなくあきらめた。 三周ヶ岳の頂上を 恨めしく思いながら眺めつつ・・・・ 紅葉はもう少し先のようだけれど 天気も良く気温もちょうどよかったのに残念!! アクシデントを一つ 夜叉ヶ池で昼食中 横にいた人のポリ袋が 風で飛び 池の中に入った。 いつもの監視員が「今日は風が強いので ものが飛ばないように気を付けてください」と大きな声で注意を促した。 風で地面近くまでそのゴミが流れてきたので 夫が木道から下り拾いに行った。 監視員が 拾って戻ってきた夫に呆れた顔をして「足跡がつくでしょ、ここから登って・・・」と。 他人が 落としたごみをとりに行って叱られて・・と思いながら食事をしていると 先ほどの監視員が来て 「ここには天然記念物のヤシャゲンゴロウなどがいて・・・。だから少しきつく注意しました」などと言い訳を言いに来た。 私が一言「よその人のごみなんですよ~」と言うと ちょっととまどっ

やっぱりおばちゃん!

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久しぶりに 武奈ヶ岳に登った。 10月とは思えない暑い日。 我々は イン谷口から登山開始。  青ガレ、正面谷、中峠を経てわさび峠を過ぎると 坊村の方からの登山者大勢と出会う。 10年ほど前は笹がいっぱい茂っていたが ほとんどなくなり 一気に見晴らしがよくなる。 リンドウもそこここに見られ そのあたりまではほとんど花がなかったので とてもうれしい。 ふと見ると 関西では毎日放送の午後の看板番組のアナウンサー NS 氏がいるではないか・・・・ 以前よく見ていた番組だったので思わず 「ち〇〇ぷ〇ぷ〇の NSさんですね~」と話しかけてしまった。 こちらは テレビ画面で何度も見ているから つい馴れ馴れしく話しかけてしまった~~~ 後で考えたら やっぱり おばちゃんだ~ と自分でおかしかった。 テレビカメラも何もなかったので個人的な山行に違いないのに 「取材ですか~」まで 話しかけた~  (*^。^*) 5人で来ていたので ひょっとして独身の彼の婚活??? などと思ってそばにいるかわいい若い娘さんを見て何とかして 結ばれたらいいな~~と思ったりしていたが 彼女は一緒にいたもう一人の男性の奥さまのよう・・・・・残念でした。

手作り作品

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何でも器用に プロ顔負けに作る人がいるものである。 パッチワーク作品、洋裁、和裁、革工芸、陶芸、木工芸、ガラス工芸etc. かなりの部門で 相当の腕前の人がいるものだ。 何でも好きでやってみたいと思う私だが 何をやっても どこかおかしくそのたびに「私は不器用!!」と思ってしまう。専門家のように完成させる人には 尊敬の念を抱く。 近くの人で 兜を手作りする人がいて見せていただきに行った。 長浜城に飾ってある兜をまねて作ったものまであり びっくり、 これを作るということは 金属細工、木工細工、組みひもなどの技術が必要で 商品になっているものはそれぞれの部分を分担して作っているのだ・・と思う。 たくさんの本を読み、研究して作っておられるとか・・・・ よほど 魅せられているのだろう。 しかしびっくりしたことにこの作品を同じように見せてもらったことのある人の感想、 「だからどうなの?って感じだよね~~~~」 手作りをしない人の考えかもしれないが 単純に「わ~すごい!!」と思う私の方がおかしいのかと思ってしまった。 手作り大好きな妹の作品もここに6つほど・・・・・ いとこ会が催されるのに合わせて 15組ほど作ったうちの一つ 母の着物をリフォームしたもの 昔の私の帯を利用したもの これも帯をリフォーム 昔の私の絵羽織のリフォーム

若くして亡くなったいとこを想う   

私達の時代は きょうだいが多かった。 その親の世代はなおさらである・・・・ だから 私のいとこは 父方、母方を合わせると 恐らく40人近くいる。それが当たり前・・と思っていたが・・・・。 今の子供たちは きょうだいのいない子も大勢だし またいとこのいない子もたくさんいるだろう。 でも きょうだいとはまた違って いとこは貴重な存在だと思う。 盆や正月などに 久しぶりに出会ういとこと 背比べをしたり また男同士なら相撲をとったり・・・・ 子供時代は 自分より少しでも大きなお兄ちゃんやおねえちゃんは大好き。ついて歩く。 そして 自分より小さないとこのことは 大した身長も違わないのに 抱っこしたりおんぶのまねごとをしたり・・・・ 楽しい思い出がたくさんある。 大好きだった私のいとこが昔 ほぼ50年前のことであるが 小学校の教師をしていた時にあっけなく世を去った。30歳だったと思う。 幼い息子を残して・・・ そのいとこの小学生のころの恩師はあの小説家、三浦綾子さんで そのことを思い出していろいろ調べていたら心打たれる言葉があった・・・・ 有名な≪氷点≫という小説は あまり好きではないが 下に心に響く言葉を列記しておく。 九つまで満ち足りていて、 十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、 人間はまずその不満を真っ先に口からだし、 文句をいいつづけるものなのだ。 自分を顧みてつくづくそう思う。 なぜわたしたちは不満を後まわしにし、 感謝すべきことを先に言わないのだろう。 私たちは、毎日生きています。 誰かの人生を生きているわけではないのです。 自分の人生を生きているのです。 きょうの一日は、 あってもなくてもいい という一日ではないのです。 もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、 きょうという一日が どんなに貴重かわからない。 ちょっとした一言を言うか、言わぬかが、 その人、その家の幸、 不幸の岐れ路になることが案外多い。 一言の言葉は五秒とかからぬものだ。 お互い、言うべきときに言える素直さと、 謙遜さを与えられたいものである。 ほんとうに自分の行為に 責任をもつことができる人だけが、 心から「ごめんなさい」 と言えるのではないだろう

台風の被害

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列島を通り抜けた18号台風は 今回県内の被害の映像が何度も出されたため 親戚や友人から 被害を心配するメールが次々届いた。 ありがたいことである。 「何の被害もなかった~」と返信したのであるが・・・・・ あの強い風で いつも行く山の木(特に腐りかけていた松の木!など)がずいぶん倒れていたし とてもたくさんの木の葉が散乱していた。 そして 花緑公園側の健脚向き登山道には こんなに実が散乱。 春にたくさんの白い花をつけていた コブシの実である。 同じ市内でも 低い土地のところの家で 床下浸水のところもあったらしいし 国道手前の少し低い位置にガレージを作っている家では車が半分水没したらしい。 今夜のニュースによると 琵琶湖にはたくさんのごみが流れてきて これから産卵する鮎の生息に影響するとゆうし また例年より実り豊かだと思っていた 米への影響も相当らしい。 稲がずいぶんなぎ倒されている映像が流れていた。 もう少しで 収穫するつもりのお茶をダメージを受けている。 そしてまた ローカル線の高原鉄道の橋げたが押しつぶされ 修復には相当期間かかりそうで通勤、通学にその鉄道を使う人は バスなどを乗り継がなければならないらしく 大変な不便を強いられる。 県内の重要文化財もいくつか破損したらしい。 実際に隣の市では 土砂崩れによって家が押しつぶされて中にいた71歳の女性も亡くなっているし 自分だけが 「何の被害も・・・」と喜んでいたことをちょっと恥じている。

初めての特別警戒警報

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先月気象庁が災害の特別警戒警報なるものを制定した。 今回台風18号では 大雨の特別警戒警報が福井県、京都府、滋賀県に発令された。 “ただちに命を守る行動をとってください” 数十年に一度の災害の時に出されるような警報らしいが・・・・・・・ あちこちに災害が起きると この辺りの人は 「ここはいいねぇー 何も起きなくて・・・・・」とよく話す。 そんなこと言って大丈夫??そのうちに何かとんでもないことが起きるのでは・・・・などと思っていたが 初めての特別警戒警報がわが県に出た! 朝起きると裏の川の水位がものすごくあがっていた・・・・・ びっくり!!!である。 30年この地域に住んでいるが これまでで初めての水位である。 風も結構きつい。 川が氾濫するような気はしなかったが 大きな木が ドンブラコ~ドンブラコ~と流れているのを見るのはやはり怖かった。 新幹線もどうやら運転していない模様。 何度も窓から水位を確かめる。 遠くに離れている姪、友人、姉、昨年山で知り合った関東在住の人からも「大丈夫ですか」とのメール。ニュースを見て心配してくれている。 ありがたいことである。 市からも 区域名指定で ≪勧告≫  ≪勧告解除≫などのメールも入る。 10時ころになると自治会役員が「避難勧告が出ていますので一応心づもりを…」との連絡のため各戸をまわっていた。。 しかしそのころから 急に風も収まりあっという間に雨も止んだ。 しばらくすると 太陽も出てきて 遠くから川を見たが 見る度に水位が減っているのがよくわかる。 新幹線も非常にゆっくりだけれど 動き始めた。 京都では観光地として名高い嵐山の渡月橋のところの映像が何度もでて 橋が川の水に洗われているのが見えた。 桂川も氾濫したようだ・・・・・・ 災害の時に京都の映像が流されるのは珍しいことだ。 このところ日本でもあちこちに竜巻も起きているし 災害はやはり いつ起きてもおかしくないのだ…と実感。 地震だけではない!怖いのは・・・!!!

古稀のクラス会

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一つの区切りである古希にはやはりあちこちから クラス会の案内が届くようである。 我々小学校同級生は 毎年のように クラス会をやっているような仲良しだが 今年は 自分たちの古希に加え 担任の先生が米寿、そしてとてもお元気と言うこともあって数年前から 今年は「米寿と古稀を祝う会」をするから 都合をつけて大勢参加するように・・・とのお達しをもらっていた。 私も仕事などを調整し早くから航空便を手配し 出席した。 もう少し大勢集まるかと思っていたが 先生を加えて19名の参加。 残念ながら来るはずの人も数人は欠席だった。 仕事などの予定が入っている人ももちろんだが 家族や自分の体調が悪い、愛犬が病んでいる、 などの理由から。 クラス会に加え 前日夜は 同級生のソプラノコンサートもあった。 小学生時代から きれいな人、と言う印象があったが 70歳になった現在も大変美しい。 1時間20分あまり 曲にコメントをつけながら ピアノやオーボエの伴奏に合わせ 一人で 十数曲を美しくよく通る声で歌った。 つくづく 歌を歌える人はいいなぁ…と思いながら聞いていた。 そして 毎年やっているとはいえ ホテルでこれだけのコンサートを開くということは相当の準備が必要なのだろうと思う。 あとから聞くところによると もちろん毎日発声練習は欠かさない、とのこと。 この年齢になってもコンサートを開くというそのエネルギーには感心、感動する。 コンサート後の立食パーティーの席で 私は「まだ、ホテルにチェックインしていない」ことを話した。 先生は「明日早いから お先に失礼する」と言って何と 私をホテルまで乗せてくださる、と。 88歳の先生が、である。まさかご自分で 車で来ておられたとは・・・・ 送っていただくことにした。 ホテルの駐車場でも キョロキョロすることもなく さっとご自分の車まで・・・ 運転はかなりゆっくりのスピードだったが すばらしい!! 「白内障の手術をしたから 目がよく見えるし大丈夫!」と。 “明日早い”と言うことは 仲間と一緒にゴルフをなさるからである。 ここのクラス会では ほとんど毎回 クラス会のあとか先にゴルフ仲間を募ってゴルフをする。 先生も必ずゴルフをされる・・・・ と 言うことは夜のコンサートに出て 翌朝はゴルフ、そしてその日の夕方は

無知による差別・・・・ハンセン病

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かつてこの病は容赦のない差別にさらされていた時代があった。 先日亡くなった 詩人の 塔和子さんは 小6の時に発病し 瀬戸内の島にある施設に入って 83年もの間そこで暮らした。 詩集は19冊にも及ぶが こんな言葉を残している 【私は砂漠にいたから  一滴の水の尊さがわかる  海の中を漂流していたから  つかんだ一片の木切れの重さがわかる】 【・・・・・  ああ 何億の人がいようとも  かかわらなければ路傍のひと  私の胸の泉に  枯葉一枚も  落としてはくれない  ・・・】 「胸の泉に」  かかわらなければ   この愛しさを知るすべはなかった   この親しさは湧かなかった   この大らかな依存の安らいは得られなかった   この甘い思いや   さびしい思いも知らなかった  人はかかわることからさまざまな思いを知る   子は親とかかわり   親は子とかかわることによって   恋も友情も   かかわることから始まって  かかわったが故に起こる  幸や不幸を  積み重ねて大きくなり  くり返すことで磨かれ   そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ  生を綴る  ああ何億の人がいようとも  かかわらなければ路傍の人   私の胸の泉に  枯れ葉いちまいも  落としてはくれない 「涙」   あるとき  死のうと思った私が夫に   「一生懸命なのよ」というと   夫は    「同じ一生懸命になるのなら     生きることに一生懸命になってくれ     がむしゃらに生きようではないか」と     言ってくれた   私は目が覚めたように   そうだと思った   どんなに一生懸命に生きたとしても   永遠に続いている時間の中の   一瞬を   闇から浮かび上がって   姿あらしめられているだけだ  いのち     この愛けないもの    思いっきり我が身を抱きしめると    きゅっと    涙が    にじみ出た

白馬岳の霧  霧  霧

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杓子岳に登りながら 何度も何度も後ろを振り返ったが 霧が かかり 視界は不良! せっかく来たんだから もう少し晴れていてほしかったな~~~~ 地図上で 20分と書いてある分岐点からの距離がすごく長く感じられた。 景色が見えにくかったからだろう。 しかし 次の日の朝、山荘から猿倉までの間に ものすごくたくさんの花と巡り合えた。 今の時期でこれだけの花があるのだから 数週間早ければ もっといろいろな花があり そして旬の花に出会えたのでは・・・・と思う。 100名山とかではないが 有名なだけあって さすがに良いコースだと思う。