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2月, 2017の投稿を表示しています

辛うじて (#^.^#)

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雪山初心者と 綿向山へ。 先週行った人の話によると「駐車場がいっぱいだったのであきらめて帰ってきた」ということだったので  ①車を停めるところがあるか  ②晴天続きなので樹氷が残っているか この二つの心配をかかえながら出かけた。  道路には全く雪が残っておらず 1月25日とのあまりの違いにびっくり。 これならどこにでも停められそう・・・・ すでにかなりの車だったが 何とか正規のところに駐車できた。 登山口のところへ行く前にアイゼン装着。 先行者もやはりアイゼンをつけているようで 多くの足跡あり。 ひと月前には 周りすべて雪、雪、雪、・・・・・・・だったが 今日は7合目からの冬道に入っても木々には全く雪がついていなくて・・・・・・・ でもイハイガへの分岐点近くになったら 少しずつ樹氷が見られホッとする。  樹氷が落ちて木の下にたくさん 「ここをくぐると幸せになる」そうで EMちゃんに「もう十分幸せだと思うけれど くぐったら もっと幸せになるかもよ~」と 話し、くぐってもらった 雪山初めてのEMちゃんは「きれい きれい よかった~」を連発して喜んでくれた。 風もほとんどなく イハイガへの道の方へ行き 早めの昼食。 御池岳や霊山山も 遠くに見られた。  遠くに三上山 雨乞岳 鎌ヶ岳 御池岳 霊仙山 今日は守山グループは川西、宇治組同伴のため 我々より一時間遅く出発だったが 出会い、「樹氷残っていてよかったね~ 今日だったら 御池岳にも行けたかもね~」などと話した。 REちゃんは 「少ない~」と言っていたけれど 半分あきらめかけていたので 私はこれだけ見ることができ、満足。 晴天だったのもありがたく 風もほとんどなくて ラッキーだった~~ 帰り甲津畑によってセツブンソウを見たいと思ったが ここはずいぶん雪が残っていて 残念でした~~~ やはり今冬の大雪が影響しているよう・・・・  

細密画

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熊田千佳慕(クマダチカボ  本名熊田五郎)さんは 土の上にはいつくばって昆虫や小動物、植物を観察し 絵を描く姿が有名。 『自然は美しいから美しいのではなく 愛するからこそ美しいのだ』 『自然保護という言葉が大嫌い 自然を破壊するのを防衛するべき まず心の中に自然を愛する苗を植え付けることが大切』 横浜の開業医の息子として生まれ小学校のころから「ファーブル昆虫記」を熱心に読んでいた。  東京芸術学校を卒業後 デザインの仕事をしていたが  戦時中日本写真工芸社で南方向けの軍部の印刷物の製作に携わっていた。 本意ではなかったにせよ 戦争に協力してしまったことを反省し 戦後は子供の夢を紡ぐ仕事の絵本作家、童話作家に方向転換したという、 60歳のころからで その後30年以上も自然の中に出かけて行って 虫や植物を徹底的に観察し6Bの鉛筆と小さな絵筆で自然のいとなみを映し続けたという。 どの絵も細かく観察して描かれているのがよく分かる。 昆虫もファーブル顔負けの観察力だし 植物もすばらしい。 ジャガイモの花を描いたものも よくまぁ、こんな部分まで…と感心してしまう。 私の好きな「ネジバナ」もとても素敵。 本の中から引用させてもらうが 誰の許可も得ていないので少しだけ加工してここに 載せさせてもらった。

代書業

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久しぶりにとても心豊かになる、そして面白い本を読んだ。 幻冬舎 小川糸著 「ツバキ文具店」である。 先代から継いだ11代目店主ポッポちゃんこと 鳩子が主人公。 文具店をいとなむかたわら、依頼された手書きを代わりに書く代書業も。 年賀状や 店の品書きなどを代書する仕事だと思っていたが そんなことだけではなく、恋文、絶縁状、認知症の母へ亡き父からの手紙、離婚の案内状 etc. 便せんや封筒を選ぶだけではなく、ボールペン、毛筆、万年筆なども依頼にあったものを選び 時にはガラスペンなども使用する、そして切手も季節や中身にあったものをとことん吟味して選んで投函する。 字体も依頼主にあっているように考え抜いて・・・・ 依頼主から事情をじっくり聴いて 文章も考えるようだ・・・・ ポッポちゃんの周りに登場する人物も 5歳のQPちゃんから おばあちゃんと呼んでもよいバーバラ夫人まで 年齢性別を問わず 個性豊かで 魅力的な人たちばかり。 お庭にある桜を囲んで親しい人を招いてそれぞれ料理を持ち寄り 初対面の人もいるのに和やかにお花見、 現在はこういう人間づきあいはなかなかないと思うが うらやましいような関係、 鎌倉には高校の修学旅行で大仏を見に行った時しか訪れたことはないが あたりの静かなたたずまいが目に浮かぶような描写。 ポッポちゃんが 先代から教わった習わしもいろいろ書いてあったが 「 七草爪 」という言葉を初めて知った。 六日の晩から七草を水につけておき  翌朝その水に指先を浸して爪を切ることを言うのだそう、元旦から六日まではどんなに爪が伸びても切ることを許されないのだって・・・・七草爪をやるとその一年風邪をひかずに済む、という言い伝えらしい。 中身も文の運び方も私好みで ポッポちゃんの生き方そのものが理想的にも思えて しばらくしたらもう一度読んでもいいかな、って思える本だ。 代書業は 昔は 識字率が低く、字を書けない人に代わって 手紙や書類を作成する仕事だったらしい。 私の父は小学校しか出ていないが 猛勉強をして脱サラ(昭和20年代にはこの言葉もなかったかも?)して 司法書士になった。 初めは家の一室を事務室にしていたが そのうちに事務所を借り きょうだい6人を育ててくれ 80歳を超えてからも現役で働いていた。

原木栽培シイタケ

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近畿地方にこの冬一番の大寒波襲来、と数日前から予報があり 「当日の天気の状況を見て 危険と思ったら 欠席させてもらいます」と伝えてあったので迷った。 しばらく外を見ていたらブリザードみたいに急に風が吹いて木々が揺れ 積もっていた雪が粉状になって舞い上がる。   しばらく空とにらめっこ 「急に風が吹いてもあわてずゆっくり運転すること」と自分に言い聞かせ 8時に家を出る。 道は相当凍っている。 暖気運転をしてから動き出したが ワイパーの動いたところがさーっと凍ってしまって・・・・しばらくは怖かった。 国道まで出てもまだ凍てついていて どの車ものろのろ運転。 20㎞/h から30㎞/h くらいで皆走っている。 森に着いたら木々が真っ白になっていて 違う場所に来たように錯覚すr。 参加する子供たちの中にも インフルエンザで欠席の子もいれば 「少し雪が溶けてから行くので 遅れます」などという連絡が多く入り 朝はストーブを囲んで皆背中や手をあぶっている。 でも 去年から来ている彦根市の子はちょっとだけ遅れたものの、出席。 12月に制作した「落ち葉のアート」が 壁に飾ってあった。 今日はコナラやクヌギの榾木(ホダギ)にシイタケ菌を植え付ける作業。 まず 数年前に植菌したものを観察。 中には とても立派なシイタケが・・・・冷凍状態。 班ごとに分かれての森の中の観察も そのうち雪遊び、サラサラ雪で雪だるまを作ることはできず 雪合戦になってしまった。 元気な小学生と一緒になってぶつけたりぶつけられたリ・・・最後の一発が見事に私の背中に入ってしまって・・・(>_<) 山靴を履いていたので 走り回ってもこけず なかなか楽しかった🎶 森の職員さんが用意してくれていた榾木をそれぞれ選び ドリルで穴をあけ シイタケ菌を木槌で打ち込む。 立派な名札も作ってくれてあり 木にぶら下げる。 欠席の人の分も含めて約50人分植えこみ終え、井桁状に組んで 「仮伏せ」 。 このところずいぶん何年も植菌しているが やはり榾木を置いておくのはこの森の中が最も適しているようだ。 めいめい自分の木を家に持って帰ってもよいので 何年

今日は何日?

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医師でもあり 作家でもある 久坂部羊(くさかべよう)さんの 『老乱』を読んだ。 長年高齢者を対象とする在宅訪問診療を続け 自らの経験をもとに大学病院の実態を克明に描いた小説をも執筆している作家である。 (2014.6には 作品「悪医」について ) この本はいわゆる認知症の症状が出てき始めた78歳の男性の日常と そばに住んでいる息子夫婦とのかかわりを通して 認知症が進んでいく様子が描かれている。 この頃は 同年齢の友人にもかなり認知症の症状が出てきている人がいるので 他人事とは思えず 最初はあっという間に半分くらい読み進んだ。 認知症の本人と息子家族との様子が一章ごとに入れ替わって書かれていて だんだん 読むのがつらくなってきた。 もちろんフィクションではあるが 認知症患者であるこの男性もすぐに何もかもわからなくなったわけではなく 「自分はどこかおかしい・・」と気付き始め 毎朝前日の出来事を日記に書き、 「手偏の字を10個」「糸偏の字を10個」など それなりの努力をしているにも関わらず     電動自転車のバッテリーがなくなっているのに自転車を押して 線路内に入ったり 道に迷って帰れなくなったりする。 まわりにいる息子夫婦は何とかして進行を遅らせようとして 「今日は何日?」と聞いたり  指の運動をさせたり 「昼ご飯には何を食べたの?」と聞いたりする。 それでも次々症状が悪化するので あせって 専門家に相談に行き、 「認知症の親を受け入れて心穏やかに暮らしている家族」の例を教えられる。 その医師によると「認知症は治らない、 治ってほしいと思うことは認知症を拒絶していることであり  当人は自分のすべてを拒絶されているように感じて ものすごく苦しさを感じ   それに反発して無意識に介護者を困らせるようなことをするようになる 」というのだ。 「 自分は大切にされていると思うことができ、家族の一員として認められていると 思うことができていれば 家族を困らせるようなことはしないはず」 「本人の頭がはっきりしている時には  自分がまわりにどのように 受け入れられているか 非常に敏感  そして自分はどうしてこのようになったのか悩んでいる」のだそう。 最初のころは 認知症になったら何も