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11月, 2013の投稿を表示しています

60年後!!?

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生まれたばかりの赤ちゃんが病院で取り違えられる!!  そんなことがあるの?  と思ったのは 私が中学か高校の時ではなかったか・・・・ それは4歳の時に取り違えに気づき お互いに産みの親に所へ帰った・・・ その時のことを思い出しながら 福山雅治主演の映画「そして父になる」を見た。 親は非常に苦悩する、ということは容易に想像できるが この映画を見て そんな生易しいことではない、もっともっと計り知れない苦悩に満ちた悲劇!と考えさせられた。 いまニュースになっているのは 60年前に取り違えられた男性が DNA鑑定で 取り違えであったことを 確信したそうで 裁判所は 「その無念の心情は察して余りある」との判決。 実の両親は 本当のことを知らないまま亡くなってしまっている。 真の親子として会う機会は永遠に断たれた。 今回、明らかになった取り違えの事実は 両方の家族の経済力に大きな差があること。 「そして父になる」の設定も 教育一家と自由奔放に育てている家族の間の取り違えで 経済的にも大きな違いがあるように描かれており よく似た設定であることに びっくり!! 60年前の真実を知った男性の衝撃は計り知れない、果たして 知った方がよかったのだろうか…という気もする。 いずれにしても 取り違えた病院の 罪の深さを 思う。 このような事件に巻き込まれた世代より少し前、 我々が生まれたのは 自宅にお産婆さんが来てくれ おばたちがお産をする母の代わりに 家事を引き受けてくれたりお産の補助をしてくれたり…という時代だったから 取り違えられる可能性はなかったが その後数年の間に 産婦人科医のもとでの出産が当たり前!になってしまったからこういうことが起きるのだろう。 きっと これ以外にも多くの取違え事件があり しかし本人たちも周りも気づいてない、という事例がたくさんあるのではないか・・・・・ 今後こういうことは決してないように・・・・・切に願う。

ファンタジーの世界

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藤城政治さんの影絵展に行ってきた。 数年前京都で開催された時にも見せていただいたが 現在89歳になられるのに 被災した陸前高田まで出かけてそこでデッサンして作られた作品もある、ということで 遠い大阪での開催だったが 出かけた。 大勢の人が…ということだったので開場の時間に合わせて入場したが やはり作品の前には大勢がたっていて説明文を読むためには 少し待って居なければならない・・と言うような場面もあった。 若いころ季刊誌「暮らしの手帳」をずっと購読していたこともあって ずいぶん昔からなじみのある作者だけれど 長期間にわたって このような細かい作品を次つぎと生み出し 現在も創作意欲に燃えておられることにまず敬服する。 京都で開催された時に見たと思われる作品はほんの数点。 私が忘れてしまっているのかもしれないが それ以降に作られた作品も多くあったので とにかく 作品数が多い、ということだと思う。 とがった鼻、横向きの丸くて大きな目に違和感を感じる人もいるようだが 光を取り入れたカラフルで 夢あふれる作品はやはり見ていると感動する。 猫をはじめ動物や 小さいものがお好きなようで ある時期猫を30匹も買っていたこともあったとか・・・・ いろいろな場面に猫ちゃんが登場する。 そしてそして 小人をモチーフにした作品も数多くある。 「人は 皆小人を一人持っている 小人は人生のパートナー 誰にでも話しかけ 喜びも悲しみも分かち合ってくれる」とのコメント。 また 被災地の作品には 「 がれきの中から がれきを超えて 新しい未来が必ず生まれるでしょう」と・・・・・・。 こんな数かずのメッセージには 励まされた。 作品を見終わった後 売店では多くの人々が絵葉書や額を買い求めていた。 LED電球で後ろから照らし  より一層 作品のイメージに近い素敵な額、25万円ほど。 A3くらいのサイズだったが やはり そんなのは残念ながら買えない。

雲海

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雲海がきれい!ということで わざわざそれをめがけて 出かける人もいるようである。 私はそういう趣味はないが 先日いつも登っている三上山で 素晴らしい雲海を思う存分眺めることができた。 雲海は 湿度が高いときに 放射冷却によって地表面が冷え 風の流れがない時に空気がその場にとどまり 冷却され続け 飽和状態になって 空気中の水分が霧となり それが山頂などからは 海のように見える、のだそう。 春や秋に現れやすいようだ。 三上山の頂上から 琵琶湖側をのぞむと 遠くの山が少し見えるだけの雲海。 時には晴れて 近くの工業団地などが見えたりしたが こんなに広範囲の雲海を見ることができたのは初めて。 反対側の花緑公園側もきれいだった。  伊吹山は遠すぎてかすんでいたが 山々が見えたり隠れたり・・・・・素晴らしい眺めで しばし見とれた。 30分くらい眺めていたかな。 残念だったのは ほぼ毎日持ち歩いているカメラをその日に限って持っていなかったこと。 でもその分 あの美しさが今もこの目に残っている。 携帯電話で写真を撮ることはめったにないので こんな写真しか写せなかった  (ー_ー)!!

種なし柿

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秋になると毎年楽しみにして干し柿をたくさん作っている。 干し柿用の渋柿は 収穫の際 吊るしようの枝をきちんと切らなければならないようで手間がかかるのかなかなか手に入りにくい。 道の駅などで 予約しておいたり その時期にあちこちの道の駅に探しに行ったり・・・・ それ用の柿を用意するのがなかなか大変。 その後 皮をむき 熱湯に10秒か15秒くらいつけてひもでくくり鳥の目につかないような所に干す。 その年によって 小さい柿なのに種がたくさんあって 干し終わり食べてみると あまりの種の多さにビックリ…手間がかかっているのに 食べる部分の少ないのにがっかりしたこともある。 今年の秋は 三上山のおなじみさんからたくさんいただいたりしたのも合わせて 100個以上干すことができた。 孫の誕生日に送ったら 「おいしい! どうして種がないの?」 との質問。 スイカやブドウのように 改良されているのかと思ったら 柿に関しては種類によって種がなくても子房が膨らんでくる種類がありそれがいわゆる 種無し柿のよう・・・ ブドウのように改良されたため 種無しになっているのもあるのかもしれないが・・・

雨乞岳 千種街道の崩壊

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甲津畑から雨乞岳に登った。 歩き始めに一緒に登りだした男性、なんとこの春にも歩き始めから2.30分一緒にしゃべりながら歩いた 伊賀から来た人。 不思議だな~ たくさんの山があるのに同じ人と同じ山で出会うなんて・・・・   千種街道は 昔滋賀と三重を結ぶ重要な道路だったようだ。 看板によると 東海道と中山道をつなぐ役目をした・・・・と言うような記述もある。 しばらく歩いてびっくり。 林道のあちこちに崩壊しているところがある。  この山は 木を切り出した跡や下草を刈った跡があり 作業用の車がかなり上まで登っているのを見たことがあるが 今日のような状況では ほとんど不可能に近いと思う。  もちろん 修復するだろうがかなりのお金がかかりそう・・・ 岩がたくさん転がっていて そこまで水がつき岩がころがってきたのだろうと推測できるようなところがあった、恐らく9月の18号台風のせいだと思うが これまで10年以上ここには何度も来ているが こんなに崩壊したのは初めて! それだけ今回の台風は 滋賀県に大きな被害をもたらしたということだと思う。 この幅だと車はとうてい通れない この橋の上まで水がついたのだろう 山道のほうの被害はそれほどでもなくてほっとした。 ほんの少し橋が壊れていたり 大木が倒れているところもあるにはあったが・・・・・・ 杉峠を経て 雨乞ピークまでは 笹の丈がずいぶん高くなっていた。 雨乞、東雨乞ともにたくさんの人。 我々はすぐに南雨乞から 清水頭を経て 大峠に向かう。 ここから見える谷筋の紅葉は素晴らしかった。 どこもここも赤、黄色、緑… やはりモミジの色が一番きれいかな。 竜胆が あちこちにあった リュウノウギク 今回の山行ではカマツカの実が目立った ムラサキシキブ 千種街道で帰り道に見つけた シャクナゲは来年春のつぼみをたくさんつけていた。 でもここのシャクナゲは5月末でないと開花しないので その時期は ヒルの時期だから やはり見られないだろう。 大峠を経て ツルベ出会 のコース。何度も渡渉するが水はそれほど多くはない。 助かった~ 実質歩いたのは 6時間半ほど

友人の舞  詩舞

長年 体操の指導をしていただいている方が 市の文化芸術祭で 詩吟に合わせて舞う、とのことで数年前から 鑑賞させていただいている。 詩吟はもちろん知っていたし 吟詠している人は何人も知っているが 「詩舞」というものの存在はそれまで知らなかった。 袴をつけ 一人で舞台を凛々しく舞う姿は 感動する。 詩に合わせ 日本の心を表現するものらしい。 そして一緒に体操をしている仲間が 彼女の詩舞の際に 吟詠する。 その彼女はとてもおとなしく わが体操クラブの大阪発表会にも 一度は出場すると宣言したものの その日が近づくにつれ 「皆に迷惑をかけたら・・・・」という思いが強くなって眠れなくなってしまい 結局出場を取りやめてしまった・・・という繊細な気持ちの持ち主。 その彼女が舞台上で 朗々と吟づる姿は 感動した、というか びっくりした。 よく通る声で おなかの底から気持ちよさそうに 吟じていた。

災害弱者とは?

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次のような条件に当てはまる人を災害弱者というのだそうである 自分の身に危険が差し迫った時、それを察知する能力がない、または困難な者。 自分の身に危険が差し迫った時、それを察知しても適切な行動をとることができない、または困難な者。 危険を知らせる情報を受け取ることができない、または困難な者。 危険をしらせる情報を受け取ることができても、それに対して適切な行動をとることができない、または困難な者。 あの東日本大震災の時に 被災した自閉症の少年が 避難所で ピアノを弾いて他の被災者を励ましたという  この 「まさき君のピアノ 自閉症の少年が避難所で起こした小さな奇跡」 ブックマン社   の本は 「絶望の中で誰かの役に立つこと」「たくさんの悲しみの中でも笑顔を忘れないことの大切さ」 を教えてくれるという。 誰もが疲労の限界を越え どうしようもない気持ちに襲われていた時に 「人々に勇気を与え人々の心を癒したのは 「僕がラジオ体操をひいてもいいですか」と言ったまさき君の言葉だったという。