5年日記
中学校の担任が 「日記をつけること」を勧めてくれた。
それ以来、ほとんど毎日つけている。
初めの頃は ありあわせのノート、初めだけ使って後ろが余白のキャンパスノートなどに書いていたが ある時、 5年日記というものがあるのを知り ふとそれに書いてみようと思いたった。
それまでわざわざお金を出して 日記帳を・・・というようには思っていなかったのだ。
2000円くらいだったかなぁ~ 「あと5年は生きていられるよね、まさか無駄にはならないよね」と自分を納得させて購入した。
今から20年前の今頃のことである。
40代の頃は あまり体調が良くなくて 「母は80歳近くても元気だというのに・・・・ もしこの先
母の具合が悪くなっても 私は看病にも行けないのでは・・・・」などと後ろ向きのことばかり考えていたクラ~イ暗い私だった。
それがなんと今度5冊目の 5年日記を購入しようとしている。
とりたてて意識はしていないが 当然あと5年は生きていると 信じているのかもしれない (*^。^*)
5年日記は 去年の今日はこんなことをしていた、おととしは・・・というように 前のことをちらっちらっと見ながら書くことが出来る。
この頃 物忘れが激しく いろいろ忘れていくが 書いてあるのを読むと あ~そうだった・・・・と
思い出す。
講演会や展覧会に行って感動したことさえ、忘れたりしているが 書き留めてあるとその時だけでも思い出すことが出来るので まあ、その役にはたっているか・・・・・な?
しかし 2,3年前から 断捨離 とか 終活とかいうことが かまびすしく言われだし 私もそろそろ少しずつ ものの整理を・・・と思い始め 古着や古布、古毛糸などを捨て始めた。
それと一緒に 昔購入した本や日記帳も捨て始めた。
日記を捨てるときには パラパラめくって少し拾い読みをして ビリッと破っている。
この頃だってそうだけれど 昔の日記も大したことは書いていない。
思春期は片思いの人のことを書いてあったりして ちょっと懐かしかったけれど 後は〇〇へ △と行った、〇〇を食べた、おいしかった、〇△にこんなことを言われ悲しかった、・・・etc.
ただ、子育て中は 今日◎がこんなことが出来るようになった、こんな言葉を発した、など 懐かしいことを書いてあるが 幼児期のことは 二人の子それぞれに子供専用の「ベビーブック」に 詳しく書いてあり それはまだ残してある。
昔の日記を捨てはじめ これまでのノート日記はほとんどなくなってしまった。
それなのに まだ書こうとしている私。
誰に読まれてもかまわないが 読んだ人も 「つまらな~い」と思うような 日々の出来事ばかりで時々、他人のことを腹が立った、あの人おかしい、などとそんなことしか書いていない日記だけれど いつも書き留めなければ なんだか落ち着かない私。
ちょっとおかしいのかな。
メモ魔だからかな。
この先、そう遠くない未来にはすべて捨て この世にお別れ (*^。^*) しようとは思っているが
まだやっぱり その日あったことを書き続けていくだろう
♪.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・'
20年くらい前はあまり体調は良くなく 20年たってこんなに元気で たまには山小屋に泊まってアルプスと言われる山にまでも 行けるようになるなんて思ってもいなかった・・・・・・周りの人もびっくりするが 何といっても 一番驚いているのは私かも知れない。
ある時近所のYZさんが誘ってくださって 八淵の滝へ行ったことがきっかけで 汗をかく爽快感、山の空気の中を歩く楽しさを知り それ以来 山歩きのとりこになった。
行くたびに体が軽くなるのを実感し 夕食の時には毎回「体が軽くなった気がする」と言っていたのを思い出す。
いわゆるデトックス効果がでていたのだと思う。
幼少期には大勢の家族で育ち グルメどころか 栄養のバランスなど何も考えていなかっただろうし そしてなににせよ、おなか一杯は食べられなかったことを経験している。
栄養も考えられず ただ、毒ではなければ 大勢の兄姉妹と分け合って食べていたのだから
体の栄養状態だって悪かっただろうし よけいなものもたまっていたのだと思う。
実感として 本当に毒素が出て行く感じがしたのだから・・・
こうして今元気でいられるのは YZさんのおかげ、YZさんには足を向けて寝られない感じ(*^。^*)
時々ふと 山歩きをしていなかったら 今頃何をしていたかな?って思うことがある。
40代の頃のように ストーブで背中を温めながら 編み物などしていたかな?
おーーいやだ・・・いやだ・・・・・
それ以来、ほとんど毎日つけている。
初めの頃は ありあわせのノート、初めだけ使って後ろが余白のキャンパスノートなどに書いていたが ある時、 5年日記というものがあるのを知り ふとそれに書いてみようと思いたった。
それまでわざわざお金を出して 日記帳を・・・というようには思っていなかったのだ。
2000円くらいだったかなぁ~ 「あと5年は生きていられるよね、まさか無駄にはならないよね」と自分を納得させて購入した。
今から20年前の今頃のことである。
40代の頃は あまり体調が良くなくて 「母は80歳近くても元気だというのに・・・・ もしこの先
母の具合が悪くなっても 私は看病にも行けないのでは・・・・」などと後ろ向きのことばかり考えていたクラ~イ暗い私だった。
それがなんと今度5冊目の 5年日記を購入しようとしている。
とりたてて意識はしていないが 当然あと5年は生きていると 信じているのかもしれない (*^。^*)
細かい字で たくさん書いてある |
5年日記は 去年の今日はこんなことをしていた、おととしは・・・というように 前のことをちらっちらっと見ながら書くことが出来る。
この頃 物忘れが激しく いろいろ忘れていくが 書いてあるのを読むと あ~そうだった・・・・と
思い出す。
講演会や展覧会に行って感動したことさえ、忘れたりしているが 書き留めてあるとその時だけでも思い出すことが出来るので まあ、その役にはたっているか・・・・・な?
しかし 2,3年前から 断捨離 とか 終活とかいうことが かまびすしく言われだし 私もそろそろ少しずつ ものの整理を・・・と思い始め 古着や古布、古毛糸などを捨て始めた。
それと一緒に 昔購入した本や日記帳も捨て始めた。
日記を捨てるときには パラパラめくって少し拾い読みをして ビリッと破っている。
この頃だってそうだけれど 昔の日記も大したことは書いていない。
思春期は片思いの人のことを書いてあったりして ちょっと懐かしかったけれど 後は〇〇へ △と行った、〇〇を食べた、おいしかった、〇△にこんなことを言われ悲しかった、・・・etc.
ただ、子育て中は 今日◎がこんなことが出来るようになった、こんな言葉を発した、など 懐かしいことを書いてあるが 幼児期のことは 二人の子それぞれに子供専用の「ベビーブック」に 詳しく書いてあり それはまだ残してある。
昔の日記を捨てはじめ これまでのノート日記はほとんどなくなってしまった。
それなのに まだ書こうとしている私。
誰に読まれてもかまわないが 読んだ人も 「つまらな~い」と思うような 日々の出来事ばかりで時々、他人のことを腹が立った、あの人おかしい、などとそんなことしか書いていない日記だけれど いつも書き留めなければ なんだか落ち着かない私。
ちょっとおかしいのかな。
メモ魔だからかな。
この先、そう遠くない未来にはすべて捨て この世にお別れ (*^。^*) しようとは思っているが
まだやっぱり その日あったことを書き続けていくだろう
♪.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・'
20年くらい前はあまり体調は良くなく 20年たってこんなに元気で たまには山小屋に泊まってアルプスと言われる山にまでも 行けるようになるなんて思ってもいなかった・・・・・・周りの人もびっくりするが 何といっても 一番驚いているのは私かも知れない。
ある時近所のYZさんが誘ってくださって 八淵の滝へ行ったことがきっかけで 汗をかく爽快感、山の空気の中を歩く楽しさを知り それ以来 山歩きのとりこになった。
行くたびに体が軽くなるのを実感し 夕食の時には毎回「体が軽くなった気がする」と言っていたのを思い出す。
いわゆるデトックス効果がでていたのだと思う。
幼少期には大勢の家族で育ち グルメどころか 栄養のバランスなど何も考えていなかっただろうし そしてなににせよ、おなか一杯は食べられなかったことを経験している。
栄養も考えられず ただ、毒ではなければ 大勢の兄姉妹と分け合って食べていたのだから
体の栄養状態だって悪かっただろうし よけいなものもたまっていたのだと思う。
実感として 本当に毒素が出て行く感じがしたのだから・・・
こうして今元気でいられるのは YZさんのおかげ、YZさんには足を向けて寝られない感じ(*^。^*)
時々ふと 山歩きをしていなかったら 今頃何をしていたかな?って思うことがある。
40代の頃のように ストーブで背中を温めながら 編み物などしていたかな?
おーーいやだ・・・いやだ・・・・・
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