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2月, 2015の投稿を表示しています

「島へ免許を取りに行く」

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図書館で借りようと思った本がなくて 本棚を見ながら戻ろうとした時に見つけたのがこの本。 ノンフィクションライターの星野博美さんの本.作 彼女のことは知らなかった。 40歳を過ぎてから 車の免許をとろうとした話。 私も40歳を過ぎてから 免許を取りに行き、 大変苦労したので 読み進むうち 教官に同じように叱られ 仮免へ行くまで 延長、延長の苦労をするところで 昔を思い出し あっという間に読み進んだ。 星野さんは何か日常を変えたい、と思って一大決心をし 車の免許をとろうと、まず教習所探しから始まる。 ネットでいろいろ調べ 厩舎があり 馬と触れ合うことが出来るとのふれこみに魅かれ 五島列島の合宿免許を選ぶ。 東京ではあまり人付き合いをしていなかったようだが 同じように教習を受けに来ている人や先生、馬担当の人などと 上手に心を通わせ 検定試験に合格してからも 島を離れるのが悲しくなるくらい 島の人と仲良くなり島全体に惚れてしまった星野さん。 ただの 免許取得苦労話ではなくて なかなか面白かった。 “みきわめ” までなかなか到達できずに落ち込んで  「膠着した日常にほんの少し風穴を開けたかっただけなのに・・・・・やはりあきらめた方がよいのだろうか・・・」  と先生の前で大泣きしてしまった時に 先生が「人はそれぞれ個性が違うのだから焦る必要はない、コツがつかめたら ウソみたいに楽になる。 簡単に習得してしまった人は 案外免許を取ってから苦労することが多い。最初 に苦労した人は 後できっといいドライバーになる 」 この話で だいぶ吹っ切れたそう。 ここの先生たちは漁業をしながら 教官をしている人も多いらしく 長期滞在になった星野さんを家にまで招いて新鮮な魚や貝をごちそうしてくれている、すごいなぁ~ おまけに東京に戻って車を運転しだしてからも 教習所に質問して  教えてもらっている。 その問いと答えにこんなのがあった。 問    いつまでも運転がうまくならず 「へたくそ」と言われ続けています 答    運転を形容する言葉は「安全」と「危険」であって「上手」「下手」ではない。     めざすべきは安全な運転であって 上手な運転ではない。     運転技術の向上を目指す必要はない。 私も星野さんと同様 落ちこぼれて「もうやめ

五人占め??

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前日になってから 鈴鹿山系鈴ヶ岳、鈴北岳へ行こうということになり 16日 天気を気にしながら出発。 しかし アクシデントがいろいろあった (~_~;) アクシデントその① 平日のことを忘れていた、出勤時間だったので国道が混んでいた        その② 途中から雪が多くなり車の下をガリガリ!!ガリ! おまけに前進も後退も出            きなくなった。札幌育ちなのに 雪道を車で走るとこんなことが起きる可能性が               あるとは思ってもいなかった        その③ 途方に暮れていると 何と三上山の常連さんUE さんが・・・・   UEさん、アクシデントなどと言ってごめんなさい。      大変お世話になり おかげさまで安心して一日たっぷり十分楽しむことが出来ました。      ありがとうございました。 鈴ヶ岳への道は 普段でも迷いやすいところだし トレースもなさそうなので 予定を変更し UEさんのおっしゃるように 御池岳をめざすことに・・・・・ UE さんは いつでもとても慎重で無理なことをしないので 見習わなくては・・・・ 風もほとんどなく 空気も澄んでいてきれいな青空、遠くの山々が見え  感動! 霊仙、伊吹,能郷白山、白山,別山、北アルプス穂高あたり?、乗鞍、御嶽、中央アルプスの山々、恵那山、藤原、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所、雨乞、綿向、金糞、白倉、土倉、日本コバ、天狗堂、マキノの山々,蛇谷ヶ峰、 比良連峰、比叡山、三上山 あまり 山のことを知らない私でもこれくらいたくさんの山を確認することが出来た こんなに素晴らしい天気なのに 鈴北にも丸山ピークにもボタンぶちにも誰もおらず 奥の平の方を見ても全く人影はない。  わー!!この素晴らしい山を一人占め いえ 五人占め で~す 雪道を走る時には スコップを積んでおくことを学習!! すごくはっきりと飛行機雲が・・・ 青空がきれい 御嶽山がみえ ちょっと うっ! となった まだ何人眠っているのだろう 樹氷ではないが どこを見てもきれい 雪の花 青い空 双眼鏡で「あれが笠?槍?」 と UEさんは 長靴に鋲がついたもの わ

教え

   ラジオ深夜便のストリーミングを聞いた 私が尊敬している 田部井淳子さんが いつも心にかけていること、それは リクゼンクン  だという。 は? 何それ? と調べてみたら  六然訓 と書くらしい 40年前 エベレストに初登頂して帰国した時に国際婦人年だったこともあり あまりにも周りが大騒ぎしていたことにびっくり。 それまで長年交流のなかった人からもちやほやされたらしい。 そしてその時のことを「パーティーの中でその時には私がたまたま健康状態がよかったから 登頂できたのであって 自分一人の力ではない」 確かにシェルパなどとともに行っているから自分一人の力ではない、のかも知れないけれど なかなかそうは言えないだろう。 しかしその時にシェルパとともに姉の家に泊まったが その和室にたまたまこの掛軸があり その時以来  この 六然訓の教えを 座右の銘にしているという。 その時にはもっとも 得意澹然(とくいたんぜん) が 身に沁みたらしい  六つの意味をここに記しておく   ●自處超然(じしょちょうぜん)自ら処すること超然…事に臨んで、自分に関する問題には一切とらわれない ●處人藹然(しょじんあいぜん)人に処すること藹然…人に接するときには春風に霞がかかっているようなのんびりとした雰囲気でいること ●有事斬然(ゆうじざんぜん)有事のときには斬然…何か問題があるときには、きびきびと取り組む ●無事澄然(ぶじちょうぜん)無事のときには澄然…何も問題がないときには、水のように澄み切っている ●得意澹然(とくいたんぜん)得意のときには澹然…得意のときには、あっさりしている ●失意泰然(しついたいぜん)失意のときには泰然…失意のときには、ゆったりと構えている 下記のページには さらに詳しく 意味などが書かれていた。 ↓ http://budoningenryoku.com/人間力とは/4/.html 深夜便の中で田部井さんが話したこと、その中にこんな言葉があった。 いつも山に登る時には「よろしくお願いします」という気持ちで登りはじめ 帰りには山に一礼するのだという。 田部井さんほどの人が 毎回 そんな気持ちで山に対しているとは・・・・・ そのような人だからこそ いろいろなアクシデントにも オタオタせずに数々の偉業

捜索?

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昨日の朝の強風と寒波はどこへやら?という感じで 登山日和になりそうなので 武奈へ。 REちゃんを誘ったが 「仕事が入っていて無理」 とのことで残念! 1/31 に行方不明になった方の何かの情報があれば・・・知らせてほしい、と入口で用紙をもらった。気の毒に・・・・冷たいでしょうねぇ    早く見つけてあげてほしい イン谷口で 靴を履きかえていると AG氏が 通りかかり 「 正面谷へ行くつもりだったけれど 神璽の谷の捜索がまだらしいので探しに行く」 と。 そして 「ちょうど良いところで出会った、ストック忘れて来たし 1本貸してなぁ~」と 夫のストックを持っていってしまった (~_~;) いつものUE氏は体調悪くやめることになり  UR女史もそのため来られなかったそう。 我々は正面谷をめざす。雪は1/25より相当多い。 気温は高く 青ガレあたりまで行くときに 顔にまで汗をかいた。 正面谷では 大きな雪がコロコロ落ちてきて 「お願い、今日は雪崩を起こさないでね」と思いながら歩いた。 前回 すぽっ!とはまった苦い経験があるので  足を置く位置は 歩幅が広くなっても確実なところを選びながら 歩いた。 金糞峠を過ぎると 雪質がまるで変っている。 コヤマノダケをめざしたが どうも普段行くコースよりもかなり左に寄っている気がするが 吹き溜まりになっていて トレースのないところを 行くことはできず 「遠回りだなぁ」と思いながら登った。 スノーシューを履いていたら 本来の正しいと思われる道を歩いただろう、持ってこなかったことを後悔した、 しかし 頂上近辺に着いたら とても美しい樹氷が見られ 遠回りさせられたことも忘れ 「きれい!きれい!」と。  ため息が出るくらい綺麗だった。 URさんは先日「霊仙山へ樹氷を見に行ったがあまりきれいでなかった」 と がっかりしたふうだったので 今回誘えばよかった~ 後の祭りだけど。 さて、 そこから武奈へ 行く道も ずいぶん左に寄っている。どうもおかしい。 歩いている人に「もっとこっちですよね?」とたずねたら 「ちがいます、そっちへ行くとスキー場に出てしまう。武奈はこっち。 着いてくるかい?」と 自信たっぷり!  お世話になることにしてついて歩き出した。 でもほんの少し行くと 「

素早い行動力

数日前、明け方早く目が覚め ラジオをつけたら 加藤登紀子さんの歌が聞こえてきた。 「時には昔の話を」など加藤さんの曲は好きなので耳をすませていた。 何曲かの後、「東日本大震災のあと 5月に福島へいき 作曲したもの・・・・」とのアナウンスがあり 次の歌が流れてきた。 今どこにいますか 今どこにいますか 寒くはないですか お腹はすいてませんか 眠る場所はありますか 誰かと手をつないでいますか 暖かな火はありますか 誰かを胸に抱いていますか 青い空を見上げていますか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明日は来る かならず来る 太陽はまわって 出来ることをひとつずつ またひとつ 積み上げて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「誰かと手をつないでいますか」のあたりで涙があふれ出た。 歌詞をコピーしたくて ネットで探したがどのサイトも コピーはできないようになっていた。 著作権の問題だろうか? 大震災があったのはほぼ4年前の3月だが、おときさんはその5月に被災地福島へ入った、というのだからすごい。 そしてこの曲を作ったらしい、作曲の才能はもちろんだが すばらしく早い行動力には 頭が下がる。 Y-tube で 聞いていたら 加藤さんのこんな歌もあった。 「命結」  ぬちゆい と読むのだそうで 加藤さんの造語らしい。 これは大震災の前に作った曲のようだけれど この曲も聞いていたら なんだか魂が震える感じになった。 歌詞の意味を考えるよりも加藤登紀子さんの声と 伴奏がとてもすばらしい。

すてきなおばあちゃん

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すごく素敵な方ですのに モザイクをかけたら せっかくのお顔が・・・・ ごめんなさいね 先月この投書が載ったのを覚えていて 「わー素敵!  終活を考えて 洋服を捨ててばかりいるけれど 私も 少しはおしゃれな洋服を新調しようかしら」と 思ったのを覚えている。 同じように思った方がたくさんおられたようで 「こんなかわいいおばあちゃんになりたい」とつぶやきが投稿されたり インターネット上でも次々感想が寄せられたらしい、 洋服を買ったのか買わなかったのか ある80代のご夫婦は  話題になったそうだ、。 多くの反響があったので 新聞社の方が どんな方か知りたくて ご本人を訪ね 手紙を渡すと「どこがよかったのでしょうね~年齢かしら」と嬉しそうにほほ笑んだそう。 今回 写真が載っていて 99歳とは思えない、素敵で上品な方で よけいびっくりしてしまった。 毎朝 新聞を1時間半かけて読み、 短歌や俳句も作られるそう・・・・ お話するととても明るいので 秘訣を聞くと 「 えいっと 三途の川を飛び越えたら あの世ですから。あっちの方がにぎやかなの。主人もきょうだいも友だちもいるしね 」 との答えが返ってきたそうで そのお答えを聞いてよけい ユーモアのセンスもすばらしいし 明るい毎日を過ごしておられる様子が感じられた。 とにかくすばらしい。 この投書の中にも 「買ったか買わなかったのかは内緒、フフフ・・・・」と書いてあるが 訪ねて行った記者もどちらだったか、は 「胸にしまっておきます」だって・・・・ 私はきっとお買い求めになったように思うけどなぁ~~~ 私と長年一緒にリズム体操をやっている 9歳上の方がいて その方は介護施設にボランティアに行ったり 日赤奉仕団や市の消費生活の団体に入っていたりしていて  いろいろな方面で活躍しておられ 車も運転しておられるし 「目標ですから・・・」と 常々言っているし そう思ってもいるが 今度はこの投書の方を目標にしようかしら (*^。^*) ちょっと 厚かましいですよね・・・・(*_*)

やりきれない

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日曜朝、いつものように早く目が覚め、寝床でラジオを聞いていたら 急に「ニュースを・・・」と 【後藤健二さん殺害されたらしい】 と なんということ!  体が震えた 1月20日に 72時間云々・・の記事が出てから ひょっとしたら…という思いはあったが最悪の結果になった。 * いくらジャーナリストでも危険区域に入ったのは自己責任。 大勢に迷惑をかけて・・・ * 以前イラクへボランティアで行った高遠菜穂子さんに対してはバッシングがあったのに今回の   報道は大げさすぎる * 安倍首相が中東へ2億円の人道支援を表明したのが事件の引き金に・・・ * いやいや そういう世論の対立は相手の思うつぼで・・・・ * すべてはブッシュ政権の時に (2003年) イラク戦争がはじまったことから・・・・・ 等々 いろいろな意見があり 中東のことはもちろん世界情勢にとんと疎い私には どの意見も「なるほど」と思ってしまったり「そうかなぁ」と思ったり。 私の頭ではとうてい理解しかねる。 イスラム国というのがどのような組織か、ということもほとんどわかっていない、 イスラム教とは関係ないらしい、ということだけは 感じている。 でもどうであれ 大昔ならともかく この現在 大切で尊い命がこんなむごい形で終わってしまっていいものか・・・・・ 残虐非道という言葉しか思いつかない。 ネット世界であるがゆえに 後ろ手にされ 刃物を首に突き付けられ げっそりと頬がこけたあんな画像が世界中に広げられて ・・・・・言葉もない。 月曜日の朝刊には 後藤さんの母上が号泣しながらコメントを読む画像まで報道されて・・・ 「息子を誇りに思う」などということを言うより 目の前に帰ってきてほしかった、だろう。 当たり前のことだけれど。 埼玉県 75歳の方の投書 2月5日 追記 2月3日 大阪府 50歳女性会社員 2月3日 京都府  22歳女子大生 2月5日 夕刊 そう、報復の連鎖は 避けなければ・・・・ この先の子供や孫たちの未来は暗くなる