25年

阪神淡路大震災が起きてから今日で25年。
もう25年も経ったのか、という思いと あっという間に25年!!という思いと…

最近は災害が多く起こるので 「常に 災害への備えを・・・」などと言うことが言われているが あの頃は 「まさか!!」「まさか神戸で!!」と思った。

5時46分我が家もふだんとは違う揺れを感じた。
ビックリして飛び起き 1階に下りテレビをつけ 寒かったから ファンヒーターのスイッチを入れ テレビの画面に見入った。
あとで考えたら 地震の時には何より先に ストーブやガス器具のスイッチを切らなくてはいけないのに・・・・今だったらそう考えられたかもしれないが 当時はそれくらい意識が低かった。

あの頃は今と違い、まだ携帯電話も普及していなかったし 現在とはずいぶんいろいろな面で状況は違っていた。

当日朝はまだ あれほどの被害が出ているとは思っていなかった。
数日後 同僚が被災していることが分かり 夫は「食料や下着を届けてくる」と 言いだし 私は全くお会いしたこともない人なのに スーパーで 下着を購入してきて運んでもらった。
奥様はどんな方かわからないのでLサイズとMサイズと混ぜて購入した。
JRは大阪までしか開通していなかったので その後阪急電車で途中まで行き そこからは歩いて彼の家まで行ったらしい。
車のついた旅行かばんは もちろん壊れてしまい 靴もボロボロ、 靴づれして帰宅したが倒壊している家々の様子をみてきた夫は 「テレビ画面で見ているとは大違い ひどい状況!!」と ひどく落ち込んでいた。
毎日のように被害者の数が増えてきて 最終的には6000人を超える人々が犠牲に。
 

ラジオ深夜便では昨夜から7時間連続で震災関連の放送をしてい今朝3時ころから寝床で放送を聞いた。
被災者の遺族の言葉を聞きながら ずいぶんたくさんの犠牲者とその家族のことを思い、何回か涙を流し 地震が起きた時刻には私も寝床で 一緒に黙とうさせてもらった。


ある調査によると
心境の変化として、「自分も誰かの役に立ちたい」という気持ちが強まった人が半数以上、「助け合うことの大切さに気づけた」という気持ちが強まった人も半数以上いたらしい。

このほか「震災での自分の体験を語り継いでいく必要がある」と感じている人が多くいて「震災のことが風化している」とも感じている人も多いらしい。

調査にあたった教授は、「およそ6割の人が震災の体験を前向きにとらえているのは非常に驚きで、25年のなかで被災というマイナスの体験をプラスに変えて肯定的に捉えるという力を強く感じた」と分析している。




今朝の新聞には大学院生だった息子さんを亡くした父親が 「3288,3289,3290・・・」と 別れてから経過した日々を数えていた日々のことをつづった本のことが紹介されていた。
又当時大阪にいたというアナウンサーは 放送でひたすら消息不明の人の情報を流し続ける毎日だったことをふりかえり 今のSNSの発達のこととラジオの重要性について語っていた。

最近は滋賀県は災害の影響が少ないが だからこの先も・・・・・ということは決してなくて 1662年に非常に強い地震に見舞われていて 災害は周期的に起こるもので過去にあったということはまた起こる可能性があるということ、2020年間に滋賀県は何回も災害に見舞われている、と警鐘を鳴らしている学者もいる。



「しあわせ運べるように」♪♪

これは神戸の小学校で音楽を担当していた臼井真さんが 自分の家が倒壊し 身を寄せていた親戚宅で、生まれ育った街の変わり果てた姿をニュースで見て衝撃を受け、わずか10分で同楽曲を作詞・作曲。
  
この辺りでは 震災以来ずいぶん耳にするが この正月帰省していた息子は 「この歌、知らない」と。
やはり関東ではそれほど知られていないのか。
こちらでは合唱コンクールなどでも良く採用されている。


一、地震にも 負けない 強い心をもって
   亡くなった方々のぶんも  毎日を 
  大切に 生きてゆこう 
  傷ついた神戸を  もとの姿にもどそう 
   支えあう心と 明日への 希望を胸に 
  響きわたれ ぼくたちの歌 
  生まれ変わる 神戸のまちに 
  届けたい わたしたちの歌 
  しあわせ 運べるように


3番まであり 東日本大震災の時にも 新潟地震の時にも神戸の部分だけを変え 歌われたらしい。

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