今日は何日?
医師でもあり 作家でもある 久坂部羊(くさかべよう)さんの 『老乱』を読んだ。
長年高齢者を対象とする在宅訪問診療を続け 自らの経験をもとに大学病院の実態を克明に描いた小説をも執筆している作家である。
(2014.6には 作品「悪医」について )
この本はいわゆる認知症の症状が出てき始めた78歳の男性の日常と そばに住んでいる息子夫婦とのかかわりを通して 認知症が進んでいく様子が描かれている。
この頃は 同年齢の友人にもかなり認知症の症状が出てきている人がいるので
他人事とは思えず 最初はあっという間に半分くらい読み進んだ。
認知症の本人と息子家族との様子が一章ごとに入れ替わって書かれていて だんだん 読むのがつらくなってきた。
もちろんフィクションではあるが 認知症患者であるこの男性もすぐに何もかもわからなくなったわけではなく 「自分はどこかおかしい・・」と気付き始め 毎朝前日の出来事を日記に書き、 「手偏の字を10個」「糸偏の字を10個」など それなりの努力をしているにも関わらず 電動自転車のバッテリーがなくなっているのに自転車を押して 線路内に入ったり 道に迷って帰れなくなったりする。
まわりにいる息子夫婦は何とかして進行を遅らせようとして 「今日は何日?」と聞いたり 指の運動をさせたり 「昼ご飯には何を食べたの?」と聞いたりする。
それでも次々症状が悪化するので あせって 専門家に相談に行き、 「認知症の親を受け入れて心穏やかに暮らしている家族」の例を教えられる。
その医師によると「認知症は治らない、治ってほしいと思うことは認知症を拒絶していることであり 当人は自分のすべてを拒絶されているように感じて ものすごく苦しさを感じ それに反発して無意識に介護者を困らせるようなことをするようになる 」というのだ。
「自分は大切にされていると思うことができ、家族の一員として認められていると思うことができていれば 家族を困らせるようなことはしないはず」
「本人の頭がはっきりしている時には 自分がまわりにどのように 受け入れられているか非常に敏感 そして自分はどうしてこのようになったのか悩んでいる」のだそう。
最初のころは 認知症になったら何もわからない、死の恐怖もないからかえって幸せ!とか言われていたが この頃「認知症の人でも何もわからないわけではない、」ということが言われるようになってきた。
だから患者の尊厳を失わないように・・・・ということだと思うが 自分が将来認知症になり自分自身でだんだん悪化していくのを自覚できるとしたら やっぱり認知症には なりたくない。
もちろん 誰もが認知症にはなりたくないと思っているだろうし、 だからと言って自分は認知症にはならないという保証は どこにもない、ア~年齢を重ねるということは悲しいことだ ナ (>_<)
長年高齢者を対象とする在宅訪問診療を続け 自らの経験をもとに大学病院の実態を克明に描いた小説をも執筆している作家である。
(2014.6には 作品「悪医」について )
この本はいわゆる認知症の症状が出てき始めた78歳の男性の日常と そばに住んでいる息子夫婦とのかかわりを通して 認知症が進んでいく様子が描かれている。
この頃は 同年齢の友人にもかなり認知症の症状が出てきている人がいるので
他人事とは思えず 最初はあっという間に半分くらい読み進んだ。
認知症の本人と息子家族との様子が一章ごとに入れ替わって書かれていて だんだん 読むのがつらくなってきた。
もちろんフィクションではあるが 認知症患者であるこの男性もすぐに何もかもわからなくなったわけではなく 「自分はどこかおかしい・・」と気付き始め 毎朝前日の出来事を日記に書き、 「手偏の字を10個」「糸偏の字を10個」など それなりの努力をしているにも関わらず 電動自転車のバッテリーがなくなっているのに自転車を押して 線路内に入ったり 道に迷って帰れなくなったりする。
まわりにいる息子夫婦は何とかして進行を遅らせようとして 「今日は何日?」と聞いたり 指の運動をさせたり 「昼ご飯には何を食べたの?」と聞いたりする。
それでも次々症状が悪化するので あせって 専門家に相談に行き、 「認知症の親を受け入れて心穏やかに暮らしている家族」の例を教えられる。
その医師によると「認知症は治らない、治ってほしいと思うことは認知症を拒絶していることであり 当人は自分のすべてを拒絶されているように感じて ものすごく苦しさを感じ それに反発して無意識に介護者を困らせるようなことをするようになる 」というのだ。
「自分は大切にされていると思うことができ、家族の一員として認められていると思うことができていれば 家族を困らせるようなことはしないはず」
「本人の頭がはっきりしている時には 自分がまわりにどのように 受け入れられているか非常に敏感 そして自分はどうしてこのようになったのか悩んでいる」のだそう。
最初のころは 認知症になったら何もわからない、死の恐怖もないからかえって幸せ!とか言われていたが この頃「認知症の人でも何もわからないわけではない、」ということが言われるようになってきた。
だから患者の尊厳を失わないように・・・・ということだと思うが 自分が将来認知症になり自分自身でだんだん悪化していくのを自覚できるとしたら やっぱり認知症には なりたくない。
もちろん 誰もが認知症にはなりたくないと思っているだろうし、 だからと言って自分は認知症にはならないという保証は どこにもない、ア~年齢を重ねるということは悲しいことだ ナ (>_<)
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