てっぺん
田部井淳子さん、世界的な登山家。
でも時々 テレビのインタビューなどでお見掛けすると 東北弁で飾りなく話し すごく親しみを感じていた。
女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで有名だが あの小柄な体格でこのような偉業を成し遂げ ニュースになるたびに気にかけていた。
山に親しみを持つきっかけになったのは 小学校4年生の時に福島の安達太良山(茶臼岳という説もあるらしい)に登ったことだという。登った頂上から見下ろす風景の美しさにとても感動し『山に登るってこんなに素晴らしいことなのか』と それ以来 山にとりつかれたのだそう・・・
東北出身の田部井さんは 東日本大震災の後、地元の高校生を富士登山に連れていくことを計画し 数年間100名近くの高校生を富士山へ。
「日本一の山へ行った経験はきっとその後の人生に多くの影響をもたらす」との 強い思いで 毎年行われていた。
2016年8月 BSテレビでその様子が放映されていたが 田部井さんは 途中で登れなくなって座り込み 夫の政伸さんに付き添われながら 高校生に声をかけていた。
「一歩進めば 必ずそれだけ頂上に近づくからね・・」などと。
その年参加したのは93名の高校生。 全員頂上を踏む。
きっと 淳子さんの思いが通じていると信じたい。
患っていた癌の症状が相当悪化していて 結局その年の10月に帰らぬ人になった。
東京の女子大を卒業し 会社勤めをしながら 山登りをしていたが 女子だけで世界の山へ‥と思うようになり アンナプルナ【7577m】 エベレスト【8848m】へ 登頂した時のことをもとに小説化したのがこの本。
当時は今よりもずっと男女差別も激しく いろいろな困難を乗り越えて 実現した登山。
海外の山へ行くということは メンバー集めから始まって綿密な計画、メンバーの気心を知るために何回もの合宿などのトレーニング、そして用意する荷物は数百個。
女性同士だと男性がいない分気にしなくても良い面がある反面 嫉妬や妬みなどいさかいも多く、考えている以上に大変なものだということも分かった。
登山に必要なのは、体力と技術だけでなく、自己マネージメント力、他者への協力精神などもあり 淳子さんの飾り気のない笑顔を思いだしながら 「やっぱり 素晴らしい人だった。すばらしい人生だった~」と思えた。
それぞれ実力者でありながら やはり思わぬアクシデントで けがをしたり 高山病で途中で断念せざるをえなくなったり 18名の隊員で出発したのに結局 登頂したのは田部井さん一人。
ポーターさんや シェルパさんの中にも 高山病で動けなくなる人もいるそう。8000mを超えると 予期しないことがおこるということ!
やはり山を愛し、山で二人が知り合って結婚することになった政伸氏は 結婚後海外遠征で凍傷にかかり 足の指4本を失う。
その後も二人一緒に登山も楽しんでいたが 淳子さんが 海外へ行くときには幼い子供の世話を引き受け「こういう機会を逃す手はない、お金のことは心配するな」と 背中を押して送り出す政伸氏の愛情には脱帽!!
必ず山から還ってくるために夫が子供を望み エベレストへ出発の時には2才の幼児だったがその世話を一手に引き受ける。
空港に迎えに来た夫と娘に出会い、緊張が一気にほぐれ 涙が頬をつたい これこそが「私たちのてっぺんだ」と・・・・。
でも時々 テレビのインタビューなどでお見掛けすると 東北弁で飾りなく話し すごく親しみを感じていた。
女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで有名だが あの小柄な体格でこのような偉業を成し遂げ ニュースになるたびに気にかけていた。
山に親しみを持つきっかけになったのは 小学校4年生の時に福島の安達太良山(茶臼岳という説もあるらしい)に登ったことだという。登った頂上から見下ろす風景の美しさにとても感動し『山に登るってこんなに素晴らしいことなのか』と それ以来 山にとりつかれたのだそう・・・
東北出身の田部井さんは 東日本大震災の後、地元の高校生を富士登山に連れていくことを計画し 数年間100名近くの高校生を富士山へ。
「日本一の山へ行った経験はきっとその後の人生に多くの影響をもたらす」との 強い思いで 毎年行われていた。
2016年8月 BSテレビでその様子が放映されていたが 田部井さんは 途中で登れなくなって座り込み 夫の政伸さんに付き添われながら 高校生に声をかけていた。
「一歩進めば 必ずそれだけ頂上に近づくからね・・」などと。
その年参加したのは93名の高校生。 全員頂上を踏む。
きっと 淳子さんの思いが通じていると信じたい。
患っていた癌の症状が相当悪化していて 結局その年の10月に帰らぬ人になった。
東京の女子大を卒業し 会社勤めをしながら 山登りをしていたが 女子だけで世界の山へ‥と思うようになり アンナプルナ【7577m】 エベレスト【8848m】へ 登頂した時のことをもとに小説化したのがこの本。
当時は今よりもずっと男女差別も激しく いろいろな困難を乗り越えて 実現した登山。
海外の山へ行くということは メンバー集めから始まって綿密な計画、メンバーの気心を知るために何回もの合宿などのトレーニング、そして用意する荷物は数百個。
女性同士だと男性がいない分気にしなくても良い面がある反面 嫉妬や妬みなどいさかいも多く、考えている以上に大変なものだということも分かった。
登山に必要なのは、体力と技術だけでなく、自己マネージメント力、他者への協力精神などもあり 淳子さんの飾り気のない笑顔を思いだしながら 「やっぱり 素晴らしい人だった。すばらしい人生だった~」と思えた。
それぞれ実力者でありながら やはり思わぬアクシデントで けがをしたり 高山病で途中で断念せざるをえなくなったり 18名の隊員で出発したのに結局 登頂したのは田部井さん一人。
ポーターさんや シェルパさんの中にも 高山病で動けなくなる人もいるそう。8000mを超えると 予期しないことがおこるということ!
やはり山を愛し、山で二人が知り合って結婚することになった政伸氏は 結婚後海外遠征で凍傷にかかり 足の指4本を失う。
その後も二人一緒に登山も楽しんでいたが 淳子さんが 海外へ行くときには幼い子供の世話を引き受け「こういう機会を逃す手はない、お金のことは心配するな」と 背中を押して送り出す政伸氏の愛情には脱帽!!
必ず山から還ってくるために夫が子供を望み エベレストへ出発の時には2才の幼児だったがその世話を一手に引き受ける。
空港に迎えに来た夫と娘に出会い、緊張が一気にほぐれ 涙が頬をつたい これこそが「私たちのてっぺんだ」と・・・・。
コメント
コメントを投稿