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1月, 2014の投稿を表示しています

「死」や「老い」

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天野祐吉の「隠居大学」という本を読んでいたら 詩人谷川俊太郎との対談があった。 この日の対談のタイトルは 【宇宙人をめざそう】  だとか 天野は谷川を「宇宙人じゃないか」とひそかににらんでいるそうで 最初の頃は「宇宙人が隣に越してきて詩を書いているんじゃないか、とそんな気がしていた」そう。 その対談の中で谷川の詩の朗読を天野が頼んだ。 「さようなら」 私の肝臓さんよ さようならだ 腎臓さん膵臓さんともお別れだ 私はこれから死ぬところだが かたわらに誰もいないから 君らに挨拶する 長きにわたって私のために働いてくれたが これでもう君らは自由だ どこへなりと立ち去るがいい 君らと別れて私もすっかり身軽になる 魂だけのすっぴんだ 心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな 脳髄さんよ よしないことを考えさせた 目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた みんなみんな悪く思うな 君らあっての私だったのだから とはいうものの君ら抜きの未来は明るい もう私は私に未練がないから 迷わずに私を忘れて 泥に溶けよう空に消えよう 言葉なきものたちの仲間になろう このように谷川の宇宙人的発想に天野はドキッとさせられる、という 谷川が 認知症になった母親のことを読んだ「おばあちゃん」という詩も 天野は絶賛!していた。

91歳で新連載

漫画家水木しげるさんが 新連載を始めるそうでテレビのインタビューに応じていた。 91才だそう。 戦争で明日をもしれぬ日々を過ごしてきた世代であるが 「途中で引退など考えたことない」と。 受け答えもとてもはっきりしておられ ユーモアたっぷり・・・・ 「自分でも91才だとは思えない。アイディアが次々出てくるし体は20歳!」 とご本人。 「頭もしっかりしているよね?」と横を向いて誰かに話しておらると思ったら 近くに次女さんがおられたようで 「ますます賢いねぇ~」と。 「結局優秀な才能があるわけですよ~、今頃気づいたけれど…・」とこともなげにおっしゃった。 先週はいろいろな話を聞きに出かけたが どちらのドクターも「必ずしも長生きがいいわけではない」とか「長寿社会が本当に幸せだろうか?」 「年とって 目も耳も悪くなり いろいろなことができなくなるから楽しくない」などとおっしゃったので 私は 「ある程度で人生におさらばするのも よいかも・・・」 「あまり長生きするのも~?」と思ったが 今朝の水木さんのお話を聞いたら 《しっかりしていて長生きできたらこれほどいいことはない》  と思えてきた。 水木さんはしっかり召し上がるそうで 「胃がじょうぶでないと・・・・・・、」だそうです。

文化って大事!!

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大阪の市長橋下氏は 来年度の文楽への補助金を減額するという。 芸術的、文化的なものってどれだけ大切か・・・彼の考えは理解できない。 図書館に対する費用も削減するようなことを言っているし 文楽についても早くから観客数が少なければ減額!と言っていた。 どうしてもその考えに反対したくて 我々二人が鑑賞に行ったからといって 観客数には・・・と言う気持ちもあったが 先日初めて文楽劇場に足を踏み入れた。 あらすじを勉強していったが やはりストーリー的には 残念ながら 映画を見るようなわけにはいかなかった しかし人形使いの素晴らしさはもちろんのことながら 大夫と三味線との息のあいかた、あの発声法、素晴らしかった。 歌舞伎と並んでやはりこれぞ日本の伝統芸能!!ではないのか・・・・ 【文楽入門】 という冊子をもらったが 次のような記載がある 人形浄瑠璃文楽は日本を代表する伝統芸能の一つで 大夫・三味線・人形が一体となった総合芸術です。2003年にはユネスコより「世界無形遺産」として宣言を受けました。 3つの演目が終わり帰るときには 人形3体、 演者も20人ほどが出てきて 挨拶をしてくれた。 人形使いの人も案外若い世代の人もいる。 これまではそういうことはなかったそうだが 少しでも人気を!と言う思いでそのような配慮がされたらしい。 数日前、今春の公園が終わったが 橋下氏のいう観客数(10万5千人)には足りなくて やはり補助金は減額になるらしい。残念である。 追記    2014.2.4の新聞投書欄より 大阪市が文楽協会へ補助金助成を減額するとのことで それには大勢の人が反論しており 2つの投書が紹介された 一つは64歳の男性から「私も売り上げを無視することはできないのは理解できる、しかし収支が合わなくても必要なところにはお金を使うべき、それが財政の役割」と。 もう一つは59歳の女性 「これまで興味も関心もなかったが助成削減に少しでも協力したいとの思いから 初めて鑑賞。衝撃的だった。魂が入っているかのような細やかな動き。胸にずんと響く太夫の語り。 その語りを支える心に染み入る三味線の音色。」 文楽は最高の芸術文化・演芸の一つだと思う」 二人とも大阪府の住人であるが 他に

口の失敗

「沈黙は自分自身を警戒する人にとって最良の安全策である」 と言う格言があるそうである。 NHKの新会長の就任会見での発言の中に従軍慰安婦問題に触れ 「戦争地域ではどこにでもあったと思っている」  この発言に対して 「悔いはいつも舌のあと遅れてについてくる」と 口の失敗に対しての朝日新聞天声人語の中身である。 言い方によって 本人の意図することを誤解して解釈されることもあるだろうし ちょっとした言葉が人間関係を悪くすることだってあり得る。 先日私は少し離れた地域に講演会を聞きに行った。 そのことを知った友人が夫に「好きだね~」と言ったらしい。 すぐ「失礼なことを言った」と 言葉を濁したようだが 私はそれを聞いてやはりとても不快になった。 講演会に行くこと、そのこと自体全く誰にも迷惑をかけてもいないし 誰にことわらなければならないわけでもないし、 私の好みの問題である。 それを「好きだね」と言う言葉などで あざけるように言ってほしくなかった。 彼女の知性を疑わざるを得ない。

お呼びでない

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2011.3.11のあの東日本大震災以来 福島の原発がしょっちゅう水もれなどの情報をながしているのに 世の中の流れは 「脱原発」に向っていないようで 不思議でならなかった。 原発の施設でトラブル続きであったにも関わらず 東京オリンピック招致の時に安倍首相が「原発もコントロールされています」と 話し 東京開催が決定された。 大騒ぎしている画像を見ながら 「一国の首相がそんなウソを言っていいの?」と 白々しさを感じた。 確かに東京で開催されることになれば経済効果など期待できることも多くあるのかもしれない、しかしあの時の状況であのように言うのは 全世界の人をだましたことにならないのか・・・ 原発がなければ 発展が遅れる、のだとしてもいったん事故が起きてしまえば失うものの莫大な原発を容認する姿勢が どうしてもわからない。 2014.1.21の朝日新聞天声人語の記事をここに・・・・ 脱原発を求める意見書を可決した地方議会が455にのぼるそうで 衆参両院の議長や首相に提出されるそうで 原発に頼らない社会づくりを考える動きになっていくよう願っている

幼児期の頭の中

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昔4歳年下の妹がまだ幼いころ 家族でトランプの「神経衰弱」をやった。 私も兄たちも 前に開かれていたカードを覚えていられなくて 妹が次つぎ さっさと おなじ札を2枚ずつあけるのを見て「!!!! この子はひょっとして~~!!」と思ったのを覚えている。 その妹、今は普通の大人、ちょっとはその辺の人より いろいろなことの理解力が早いようだが・・・・ そしてわが息子。 幼いころ「この子はすごい!!大人になったら??」と とても期待していた。 今は普通の大人。  成人したころ「あんたの頂点は幼稚園時代だったね~」とからかったこともある。 今わが孫娘は 6歳。この春から小学生。 ピンクのランドセルがうれしくて 買ってもらったスーパーで すぐ背負い売り場を走り回ったような女の子。 まだすらすらと字は読めないし、 書けるのは自分の名前の一文字だけ。 ちょっと遅れ気味か・・・・そうでもないのか・・・・ その子と一緒に先日山に登り 急な坂道を下りている時のこと。 カ~カ~と すぐ上をカラスの鳴き声。  「カラスが 〇ちゃん頑張ってねって言っているのかもしれないよ」と言うと 「でもね、カラスは名前までは知らないと思うよ」 「カラスって賢いんだよ。名前もわかっているかもしれないよ」 と言うとそこから 彼女が以前見たテレビ番組「ダーウインがきた」のことをしゃべりだした。 ◎カラスがゴミ箱をあさるのは 見えているからであって 匂いはよくわからないらしい。 ◎すごく目がよくて高いところからでも食べ物を見分けることができるようだ。 ◎エサの偽物をゴミ袋に詰めたらそこには行かなかった。 ◎カラスに見えないように新聞紙でくるんだら エサはとられなかった。 ◎カラスは 人間では判断できない紫外線でエサの選別をしているらしい、紫外線の実験をしてこ のことがわかった 訂正  紫外線ではなく赤外線である 坂道を転ばさないように気にしながら手をつないで歩いている私が 集中して聴くことができないような話を 6歳の子が次々よどみなくしゃべる。  すべてを理解してしゃべっている。 このテレビを彼女が見たのがいつ頃の事なのかは知らないが とにかく テレビでもしっかり理解しながら見ていることに感心!! しかし これはきっと幼児期独特の集中力と

リリアン編み

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「100均で見つけた」と 息子の嫁(30代)が リリアン編みというものを購入してきた。 私は初めてだったが 幼いころ 楽しんだことがあるという。 この春小学校に入学する孫は母親の説明を受け やりだしたら 夢中になった。 とても細かい作業である。 理解するのが早いのにもびっくりしたが 根気の続くのもとても感心した。 何年も前から我が家に来ると ここにあるペンギンのぬいぐるみをすごくかわいがってペンちゃんと名づけ 「ペンちゃんの腕輪にする~」と 何色使い 縞々にし とうとう編み上げた。 出来上がったらそれに気をよくして 次の日には毛糸でリリアン編みをやりだした。 母親が牛乳パックで リリアン編みように作った箱を利用して・・・・ 孫の手作り好きに影響されて私も古い毛糸を出してきて 帽子を編み出した。 自分の帽子は有り余るほどある。  でも今回ネットでいろいろな編み方を検索し 配色も考えて編んだ。 編むのが楽しいので あといくつか編んだら 近所の人のフリマに出すものにしてもらおう。 今冬覚えたカタツムリ帽子 100均シルクミーツで購入した糸 4個使いました トップから編んだ松かさ編み 何に使うつもりだったか・・・昔の糸 下から編んで 上と同様 松かさ編み 草木染めにはまった時期に 純毛の毛糸をたくさん染め 残っていたもの

都市伝説

日野原重明先生は確か100才を一つか二つ超えておられる。 でもまだ 外国にも足を運ばれるし 国内ではしょっちゅう日帰りの講演であちこち回っておられるようだ。 この先生にはこんな都市伝説があるのだとか。 「深夜零時になるとその日 日野原先生が歩いた所に一斉にきれいな花が咲く」

勝負への執念

年末放映されたドキュメントを見た。 葛西紀明選手、 ソチ五輪への出場。  7回目のオリンピック出場だというからすごい。彼の名前を聞いて「え?あの時の?」と思い新聞で写真を見て 「あれからずっとジャンプをしているんだぁ~」と 感慨深かった! 長野五輪は1998年、当時90才前だった亡き母はすごくスポーツ音痴だったが テレビでジャンプを見て 原田選手のファンになった。 原田選手がテレビに出てくると機嫌がよくなった。 その後も長い間  原田選手を応援していた。 葛西選手は あの時の五輪にはけがで出場できなかったが 今回このドキュメントを見て 「あの時の悔しさが ばねになって 今もジャンプに挑んでいるんだ~」と知った。 あの時には 20歳の舟木選手が出て 勝負を決める舟木の滑走の前に原田選手が 吹雪の中 泣きそうな顔をして 「フナキ~~」と祈るようにつぶやいていたのが印象的。  金メダルが決まってインタビューを受けた時にも 原田選手は長い時間涙が止まらなく何を聞かれても涙、涙/・・・・・だったのも誰が覚えていることだと思う。 原田選手は その前の大会で自分の失敗で団体優勝できなかったことをすごく悔やんでおり またこの五輪の時にも1回目は飛距離が伸びず 「また 皆に迷惑をかける~」と 落ち込み悔やんで気持ちの整理ができなかったという。 しかし あの日雪の降り方がすごく  [  危険だ、]   ということでジャンプ競技を少しの時間延期された。  その時間があったおかげで原田選手は 落ち着きを取り戻し 大飛距離になって金メダルにつながった。 そのことは 我々にとっては すごく感動的な話だったが 葛西紀明選手は その時の気持ちを「金メダルとるな~ 落ちろ~」とみていたという。 今回その時の葛西選手の正直な気持ちを聞いて 「スポーツ選手の本音」を知ったような気がした。 しかし 40歳を過ぎてもなお 金メダルを目指して 日々過酷な努力をしトレーニングに励む姿は 痛々しさも感じた。 ソチ五輪にはもちろん初出場の選手も多くいるが このように努力をしている選手がうれし涙を流す結果を出してほしい。