偏屈なアマノジャク
今年も日本で二人がノーベル賞を受賞し 先日は授賞式の様子が放映されていた。
もう7年も前のことになるのか 益川敏英さんが ノーベル物理学賞を受けられ その時の会見で 「大したうれしくない」と口走ったそうで 一時は題名のようなレッテルを張られたのだそう・・・・・
たしかあの時には3人が物理学賞を受賞されたが テレビで見る限り 益川さんの話す言葉は
科学者としてちょっと変わった雰囲気で 「ユニークで 楽しそうな人」との印象を持った。
今回ほんの数日前 県内のあるところに 益川さんが来て 今の世の中を憂いて講演会をするということだったが あいにく聞きに行くことが出来なかったので 今年の8月出版の本を手に取ってみた。
「科学者は戦争で何をしたか」 集英社新書
益川さんは5歳の時に家に傷痍爆弾を落とされたが 奇跡的に両親とともに逃げ延びることが出来たそうで その時の経験をもとに 昨今の安倍政権の安全保障法制の改定に躍起になっていることや 憲法改正を勧めようとしていること等から あのような戦争への道に決して進んでほしくないとの思いから 執筆されたようである。
科学者はもちろん研究が好きで自分たちはそれに打ち込んでいるつもりでも 過去に科学技術がいつの間にか戦争の兵器として使われていった、・・・ことを考え この先どうすれば本来平和に利用されるべき科学が軍事利用されないようにするにはどうしたら良いか ・・・と言うことを常に考え そのことを多くの人に発信したいとの思いで 執筆し 講演会を開いているようだ。
この本の中で益川さんは 恩師坂田昌一先生の言葉を何度も引用している。
「科学者は科学者として学問を愛する以前に まず人間として人類をを愛さなければならない」
この坂田先生の言葉を座右の銘として 「科学者として生活の目標だけは失うまい」と心がけているそうである。
勉強だけではなく社会問題も考えるようにならないと一人前の科学者ではない というのも坂田先生の持論だったそうで 益川さんは組合活動もし 平和問題や原子力問題にも長く関わってこられたそうである。
今の安倍首相の暴走を本気で憂いており ノーベル委員会が日本国憲法の9条をノーベル平和賞として認め、 それを安倍さんに受け取ってもらえるようにでもしなければ 安倍政権の暴走を止めることが出来ないのでは・・・・・・・・と思うほど 今の状態は危険なことになっている! とまで書かれている。
益川さんのような方が このように声を上げてくだされば 一市民が家の中で嘆いているよりは ずっと効果があると思うのだが 今の状態では 「日本は一体どうなっていくの?」と
日々思うことばかり
この著書の中で 益川さんは 安斎育郎さんと 久美浜町の原発建設反対運動を通じて知り合いになった、と書かれている。
お二人は同じ年齢(昭和15年生まれ)だそうである。
安斎育郎さんは ずいぶん前から原発反対運動を続けておられる。
そういえば数年前 安斎さんのおはなしを聞きに京都まで出かけたことがある。
安斎さんは 原発政策で国に騙され続けている国民に警鐘を鳴らしておられる。
安斎さんは趣味としてマジックをしておられ スプーン曲げの手品を見せながら
「知識不足、欲得ずく、思い込みが、だましの道に誘われる三つの入り口だ。」 とたとえ話として使い 分りやすく 原発政策の間違いを話してくれた。
問題解決の方法は、『科学的な知識を土台として人道主義。人任せではなく、具体的に自分がかかわろうと考えることだ』と強調された。
そして現在 あの東日本大震災の翌月から毎月 福島に通っておられる、というからすごい。
先日亡くなった 野坂昭如さんは
『戦争をしてはならない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず、悲しみだけが残るんだ』という言葉を残したそうである。
「“火垂るの墓”は世界で読まれている。日本の大切な一冊になってほしい」ということも常々言っていたとか。
もう7年も前のことになるのか 益川敏英さんが ノーベル物理学賞を受けられ その時の会見で 「大したうれしくない」と口走ったそうで 一時は題名のようなレッテルを張られたのだそう・・・・・
たしかあの時には3人が物理学賞を受賞されたが テレビで見る限り 益川さんの話す言葉は
科学者としてちょっと変わった雰囲気で 「ユニークで 楽しそうな人」との印象を持った。
今回ほんの数日前 県内のあるところに 益川さんが来て 今の世の中を憂いて講演会をするということだったが あいにく聞きに行くことが出来なかったので 今年の8月出版の本を手に取ってみた。
「科学者は戦争で何をしたか」 集英社新書
益川さんは5歳の時に家に傷痍爆弾を落とされたが 奇跡的に両親とともに逃げ延びることが出来たそうで その時の経験をもとに 昨今の安倍政権の安全保障法制の改定に躍起になっていることや 憲法改正を勧めようとしていること等から あのような戦争への道に決して進んでほしくないとの思いから 執筆されたようである。
科学者はもちろん研究が好きで自分たちはそれに打ち込んでいるつもりでも 過去に科学技術がいつの間にか戦争の兵器として使われていった、・・・ことを考え この先どうすれば本来平和に利用されるべき科学が軍事利用されないようにするにはどうしたら良いか ・・・と言うことを常に考え そのことを多くの人に発信したいとの思いで 執筆し 講演会を開いているようだ。
この本の中で益川さんは 恩師坂田昌一先生の言葉を何度も引用している。
「科学者は科学者として学問を愛する以前に まず人間として人類をを愛さなければならない」
この坂田先生の言葉を座右の銘として 「科学者として生活の目標だけは失うまい」と心がけているそうである。
勉強だけではなく社会問題も考えるようにならないと一人前の科学者ではない というのも坂田先生の持論だったそうで 益川さんは組合活動もし 平和問題や原子力問題にも長く関わってこられたそうである。
今の安倍首相の暴走を本気で憂いており ノーベル委員会が日本国憲法の9条をノーベル平和賞として認め、 それを安倍さんに受け取ってもらえるようにでもしなければ 安倍政権の暴走を止めることが出来ないのでは・・・・・・・・と思うほど 今の状態は危険なことになっている! とまで書かれている。
益川さんのような方が このように声を上げてくだされば 一市民が家の中で嘆いているよりは ずっと効果があると思うのだが 今の状態では 「日本は一体どうなっていくの?」と
日々思うことばかり
この著書の中で 益川さんは 安斎育郎さんと 久美浜町の原発建設反対運動を通じて知り合いになった、と書かれている。
お二人は同じ年齢(昭和15年生まれ)だそうである。
安斎育郎さんは ずいぶん前から原発反対運動を続けておられる。
そういえば数年前 安斎さんのおはなしを聞きに京都まで出かけたことがある。
安斎さんは 原発政策で国に騙され続けている国民に警鐘を鳴らしておられる。
安斎さんは趣味としてマジックをしておられ スプーン曲げの手品を見せながら
「知識不足、欲得ずく、思い込みが、だましの道に誘われる三つの入り口だ。」 とたとえ話として使い 分りやすく 原発政策の間違いを話してくれた。
問題解決の方法は、『科学的な知識を土台として人道主義。人任せではなく、具体的に自分がかかわろうと考えることだ』と強調された。
そして現在 あの東日本大震災の翌月から毎月 福島に通っておられる、というからすごい。
先日亡くなった 野坂昭如さんは
『戦争をしてはならない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず、悲しみだけが残るんだ』という言葉を残したそうである。
「“火垂るの墓”は世界で読まれている。日本の大切な一冊になってほしい」ということも常々言っていたとか。
そういえば数日前の夕刊でこんな記事を読み 涙があふれた。
ましてや この朗読劇を実際に見たら 涙もろい私はしばらく立ち上がることもできないだろう。
戦争は やっぱり絶対あってはならない。
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