ゴールではなく関所

「生涯現役」と言って 100歳の時にも診察をしておられた聖路加国際病院の
日野原重明先生が昨日亡くなられた。

医者としての先生はそれだけではなく エッセイストの側面も。
朝日新聞にも長い間コラムを担当しておられ 91歳から始めたこのコラムを「命ある限り続けます」と話しておられたそう。
100歳の時には 「100歳は関所」と話され 105歳までも書き続けられた。
今年の3月頃から食事ができにくくなったようだが 最終回の予定稿には 5月下旬 口述筆記されたそう。
【私のエッセーは私の全力疾走を読者の皆様に報告するよう今日まで続いてきました。
こんなに長く連載できたのは 私と一緒に走ってくださった皆様のおかげ。ここに感謝とともに皆様に最後のお別れを・・・】

食事ができなくなってからも延命治療は望まない、として ご自分の 命の限り突っ走った…のだと思う。
手帳には 110歳までの予定がびっしり書かれていた、ということだが。

エピソードの一つに なでしこジャパンの応援に興奮し、気分が悪くなり入院したことがあり 「血圧の高い患者さんには  ゛試合の生中継は危ないから 見たいなら録画の映像を・・” と勧めておきながら 自分がこんなことになってしまって・・・と反省。

それからよど号ハイジャック事件にも遭遇しておられるが その件に関しても「人生に無駄な経験は一つもない」との名言を。

全国あちこちの小学校で 10歳くらいの子供たちに 「いのちの授業」をしておられたのを 何度かテレビに放映され見たことがあるが 私は 10歳の子供にでもわかりやすいよう納得できるような 話し方をしておられたのがとても印象的。
【 いのちは見えないし、さわれないし、感じられません。「時間は見える?」って聞いて「昨日も今日も見えないけれど、寝たり、勉強したり、遊んだりするのは、きみたちの持っている時間を使っているんだよ。時間を使っていることが、きみが生きている証拠。時間の中にいのちがあるんだよ】

とてもたくさんの名言を残したことも有名
〇  夢をかなえるとは かつて自分ができなかったこと、やり残したことを、思い切ってやること

〇 生きることの意味は 自分で探し見つける、それが生きがいになる

〇 夢がなくなった時 人生の半分を失い、 勇気がなくなった時 人生の半分を失う


新聞連載のこのコラムは700回を超えるという。
ほぼ毎回読ませてもらっている。
私の母と同じ明治44年生まれのこの偉大なかたの 数々の言葉にその都度 なるほど…と思いながら 感心し、励まされ いつの間にか 力をたくさんもらっているように思う。


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