読み聞かせ
昔子供たちが小さかった頃 図書館でお話会のグループに入っていた。
すばなし、紙芝居、ペープサートなどとともに 読み聞かせもやっていた。
NHKのラジオで江刺由紀子さんが 被災地で読み聞かせをやっている話を聞いた。
大船渡市で生まれ 世界各地で生活していてその後故郷に戻り
「おはなしころりん」をたちあげ子供たちに読み聞かせをしていた。
そして大震災の後 仮設住宅で子供たちが待ち望んでいることを感じ また始めたという。
大船渡市で生まれ 世界各地で生活していてその後故郷に戻り
「おはなしころりん」をたちあげ子供たちに読み聞かせをしていた。
そして大震災の後 仮設住宅で子供たちが待ち望んでいることを感じ また始めたという。
まず、声が明るい、話し方が明るい、そして楽しい。
すばらしい!
3.11のあと 中学生だった子供さんたちも 自分からボランティア活動を始めたという。もちろん自身も被災者なのに「中学生でもできることを・・・・・」と。
それまでのお母さんの活動をしっかり見ていたからだと思う。
江刺さんは 「山が好き」ということから始まって もっともっといろいろなことを知りたい、いろいろな景色を見たい、ということから始まって
世界各地ですごし このような活動もするようになったそう・・・・・
江刺さんの話の一部を下記に。
* * * * *
山が好きだった。
日本の山を登ってみて、もっと高い山を見たいと思っていた。
ヒマラヤに行った。 現地の人に接して、もっといろんな社会を見てみたいと思って、リラックスできる環境を探ししながら、世界中を歩いてしまった。
自分がしっかりしていれば、場所は関係ないと腹をくくってからインドに長くとどまろうとして、インドに腰を据えた。
いろいろなことをやったが、その中の一つにボランティア活動があり、お金を集めていくつかの施設にお分けしたりしていた。
両方がいて成り立つものなので、有難がる必要はなく、同じ立場で交流したかった。
心のキャッチボールがしたかったので、日本の歌を歌ったりした。
子供には日本の紙芝居、絵本を読んでみようと思った。
ページを読むたびに、意味が判らないないのに 「もこもこ」とか「パッチン」とかいって、一緒に喜んでいた。
紙芝居をヒンディー語にして読んだら、子供たちの表情、目が本当に嬉しそうにしていた。
交流して楽しかったが、子供の持つ生きる力を引き出すことができるのが、あの場だと思った。
日本に帰ってきても、この活動を始めた。
海外は20歳代から始まって、16年間 12年がインド 2年がトルコ、あとの2年が中近東、アジア、ヨーロッパ等をうろうろしていた。
私は地元の人に入ってゆくタイプで、どこの国でもありがたいとおもった。
トイレなど大変だった事はある。 ネパールの山奥で何もないところで、一皿のカレーを出されて、ハエが入っていると、「米を買うのに苦労して、野菜をどうやって手に入れて料理して、おもてなしの気持ちで出してくださっている。
だからと言って食べません」と言う気持ちは無く、ハエは横にどかして食べます。皆さんと共に一緒の環境を一番優先させた。
アジアは差別の激しいところではあるが、そこに入って行って、同化したいと思った。
ゲストハウスを管理して働いて、お金を貰っていた。
宗教にかかわる人に興味があった。
チベット仏教などを勉強していました。
インドで結婚して、女の子の双子をインドで出産した。
7歳までいて、その後に日本に帰ってくる。
子供たちは直ぐになじんでいった。 私が子供に残せるのは何にもないと思って、綺麗な正しい日本語を子供に残すことが私のできる事だというのを子供が出来る前から思っていた。
図書館に子供を連れていったら、読み聞かせをしている人がいて、講座があるという事もあり、平成15年の4月に帰ってきて、7月にはお話ころりんを立ち上げている。
8~10人程度でスタートした。
講座で一緒になったが、知らない人同士だったが、子供が聞いてて親しみやすい様に「おはなしころりん」とした。
今は図書館、小学校、保育園等で、月に30回ぐらいやっている。
基本的には一人でやっている。 割り振り捨て行う。
団体の運営の仕方、読み聞かせの授業の仕方が判ってきた。
素直に心をこめて丁寧に子供と一緒に楽しむという気持ちがあれば、技術が無く読み聞かせはドンドンしてもらっていいと思う。(勉強会はするが)
子供たちが楽しむという環境にいつも気を配れば、コツになるんではないか。
深く楽しんでもらうためには、良い本でないと子供に面白さは伝わらないので、本選びには気を使う。
家庭での読み聞かせが一番だと思うが、それを補う形が集団での読み聞かせだと思っている。
読み手と聞き手、繋がりができてくるが、子供に絶対良いです。
震災後は特にそう思う、信頼関係が構築されていっているので、読み聞かせでしか会う事のない子と会っただけで、嬉しい。
読み聞かせも、11年になりました。
読み聞かせをしている人にバトンタッチしている。
大きくなった人たちから、小学生のころに読み聞かせをしてくれたおばちゃんだと言ってくれて覚えていてくれて本当に嬉しいです。
ヒマラヤに行った。 現地の人に接して、もっといろんな社会を見てみたいと思って、リラックスできる環境を探ししながら、世界中を歩いてしまった。
自分がしっかりしていれば、場所は関係ないと腹をくくってからインドに長くとどまろうとして、インドに腰を据えた。
いろいろなことをやったが、その中の一つにボランティア活動があり、お金を集めていくつかの施設にお分けしたりしていた。
両方がいて成り立つものなので、有難がる必要はなく、同じ立場で交流したかった。
心のキャッチボールがしたかったので、日本の歌を歌ったりした。
子供には日本の紙芝居、絵本を読んでみようと思った。
ページを読むたびに、意味が判らないないのに 「もこもこ」とか「パッチン」とかいって、一緒に喜んでいた。
紙芝居をヒンディー語にして読んだら、子供たちの表情、目が本当に嬉しそうにしていた。
交流して楽しかったが、子供の持つ生きる力を引き出すことができるのが、あの場だと思った。
日本に帰ってきても、この活動を始めた。
海外は20歳代から始まって、16年間 12年がインド 2年がトルコ、あとの2年が中近東、アジア、ヨーロッパ等をうろうろしていた。
私は地元の人に入ってゆくタイプで、どこの国でもありがたいとおもった。
トイレなど大変だった事はある。 ネパールの山奥で何もないところで、一皿のカレーを出されて、ハエが入っていると、「米を買うのに苦労して、野菜をどうやって手に入れて料理して、おもてなしの気持ちで出してくださっている。
だからと言って食べません」と言う気持ちは無く、ハエは横にどかして食べます。皆さんと共に一緒の環境を一番優先させた。
アジアは差別の激しいところではあるが、そこに入って行って、同化したいと思った。
ゲストハウスを管理して働いて、お金を貰っていた。
宗教にかかわる人に興味があった。
チベット仏教などを勉強していました。
インドで結婚して、女の子の双子をインドで出産した。
7歳までいて、その後に日本に帰ってくる。
子供たちは直ぐになじんでいった。 私が子供に残せるのは何にもないと思って、綺麗な正しい日本語を子供に残すことが私のできる事だというのを子供が出来る前から思っていた。
図書館に子供を連れていったら、読み聞かせをしている人がいて、講座があるという事もあり、平成15年の4月に帰ってきて、7月にはお話ころりんを立ち上げている。
8~10人程度でスタートした。
講座で一緒になったが、知らない人同士だったが、子供が聞いてて親しみやすい様に「おはなしころりん」とした。
今は図書館、小学校、保育園等で、月に30回ぐらいやっている。
基本的には一人でやっている。 割り振り捨て行う。
団体の運営の仕方、読み聞かせの授業の仕方が判ってきた。
素直に心をこめて丁寧に子供と一緒に楽しむという気持ちがあれば、技術が無く読み聞かせはドンドンしてもらっていいと思う。(勉強会はするが)
子供たちが楽しむという環境にいつも気を配れば、コツになるんではないか。
深く楽しんでもらうためには、良い本でないと子供に面白さは伝わらないので、本選びには気を使う。
家庭での読み聞かせが一番だと思うが、それを補う形が集団での読み聞かせだと思っている。
読み手と聞き手、繋がりができてくるが、子供に絶対良いです。
震災後は特にそう思う、信頼関係が構築されていっているので、読み聞かせでしか会う事のない子と会っただけで、嬉しい。
読み聞かせも、11年になりました。
読み聞かせをしている人にバトンタッチしている。
大きくなった人たちから、小学生のころに読み聞かせをしてくれたおばちゃんだと言ってくれて覚えていてくれて本当に嬉しいです。
コメント
コメントを投稿