国家の罪

19世紀後半から 長い間 ハンセン病はコレラやペストなどと同じように恐ろしい伝染病であると考えられていた。
主に皮膚や神経に感染する病だが 治療法が確立した現在では 感染した早い時期に治療を始めると 治癒する。

その後感染力が弱いということが分かってきたにもかかわらず 何んと平成8年まで隔離政策がとられ 患者のみならず家族までが白い目で見られ、まるで罪人のようにひっそりと生活せざるを得ない状態が続いていた。

なんということか・・・

小川正子医師は 国立癩(らい)療養所長島愛生園につとめ,ハンセン病患者の治療と 院外患者の検診につとめ らい病治療に生涯関わった医師として有名であるが

【夫(セ)と妻が 親と子が生き別る悲しき病(ヤマイ)世になからしめ】

と戦前に詠んだ。


しかし らい患者で作家だった故 島比呂志 氏は  この歌に違和感を吐露した、という。

病が夫婦親子を引き離したわけではなく、 別れを強制したのは 国の政策であり らい予防法である  と。


本当にそうである。
間違った政策のために どれだけ多くの人が 隔離され差別された一生を送らなければならなかったのか・・・

6月29日 ハンセン病家族訴訟で、熊本地裁は元患者の家族が受けた差別と偏見の責任が国にあると認め 家族も賠償されることになったが これまでの人生はやり直しがきかないわけで どう考えても国が犯した罪はとんでもなく大きい、と思う。

上記の島さんの 詩を見つけたのでここに転記させてもらう。



病める樹よ
島比呂志


永遠の中の
一年がなかったら
永遠は存在しないということを
樹よ
よく考えてみるがいい 

どこからか吹いてきた悪病に
おまえの枝や葉が
変形し
醜悪になったからといって
絶望してはならない
なるほど
風が吹けば
おまえは
仲間以上の危険にさらされるであろう
雪が降れば
ひとしお寒さが浸みるであろう
けれども
全力を挙げて耐えるがいい
ありだけの生命の火を燃やすがいい
やがて
おまえの生涯が終り
板となり
柱となる日
苦しみに耐えて来た
一年一年が
いかに美しい年輪となり
木目となることであろうか

樹よ
悪病を歎くことなく
ありだけの力で生きるがいい
やがて摂理の銛にかかる日まで
血みどろに生きるがいい
樹よ樹よ樹よ樹よ
病める樹よ!

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