もう4年か・・・・・・・・・・

先日来、東日本大震災から4年、 とマスコミを賑わせている。

月日の経つのは早い。
あの日、私は出かけていて 2時半過ぎに帰宅し 何気なくテレビをつけた。
関西の放送局の番組だったが すぐに「あ、地震ですね、揺れています」と。
この部屋ののペンダントライトも揺れたが まさかこんな大地震だったとは 思ってもみなかった。

その後、テレビの画面はどのチャンネルも東北の画像がながれ 間もなく津波で一軒家や大型バスがドンブラコドンブラコと 流れていく映像までが・・・・・・体が震えた。
正直 それまでは津波というものがこんなに怖いものとは思ってもみなかった。

東京の会社に勤めている次男からはすぐに「ぼくは大丈夫」というメールが入った。
その数時間後には 家族全員の無事を知らせるメールもきた。
札幌の姪たちからは うちの息子たちの安否を たずねるメールも次々来た。

しかし、かんじんの仙台在住の弟(夫の)のところに連絡がつかない。
携帯電話にかけたが 他人にかかってしまう。
番号を変えたという連絡はもらっていなかった。
兄姉たちからも「安否わかるか?」との問い合わせも入るし 災害ダイアルにメッセージも入れたが なしのつぶて。

あの時は本当にあせった。 
津波に流されて消息が分からない・・などという想像までした。
結局 ツイッターから 無事が確認できたのは まる2日たってから。
普段から情報交換しておくことの大事さをひしひしと感じた。

当時大阪駅近くの阪急ビルのオフィスで仕事をしていた長男は 最上階(たしか18階)だったので
かなり長い間揺れが収まらず  生きた心地がしなかったらしい。
ここより大阪の方が 揺れがひどいなどとは思わないで 長男のことは全く考えもせず・・・(*_*)
高いビルは地震の揺れを吸収する構造になっているから よけい長時間揺れるらしい。

次男はあの夜、途中までタクシーに乗りあい、 その後は歩いて夜中の2時に帰宅したらしい。
それ以来、3.11は 毎年会社から歩いて帰宅しているとか。
明日もそのつもりらしい。

あの震災の時に台湾から200億円もの寄付が届いたのだそうだ。
台湾は人口も数千万だと思うのに 日本に対して これだけの寄付をしてくれたとは・・・・
どのような使われ方をしたのか?
寄付金と言えば 我々の寄付金も 被災地ではなく とんでもないことに使われていたことがわかって 本当に腹が立った。

震災の報道で「あの日を忘れない」などと言われているが 今元の地へ戻れない人が大勢いることは報道されないし 何より 原発のことにふれていないのは 政府の策略か? 
忘れないだけでいいわけ?そうではないよね?

地震だけだったら4年もたてば ある程度復興しているだろう。 
放射能の影響があるから 住んでいた土地に帰れないわけ・・で それを問題視しないのはおかしい。
未だに魚介類も40種ほどが高濃度にも汚染されているらしい。

今日の新聞全面広告に 小泉元首相 細川元首相の顔が大きくクローズアップされていて 「3,11を忘れない 自然エネルギーこそ飛躍の力」などと うたわれているが 元首相とはいえ、安倍さんに 物言う力はないのだろうか。
代議士でなければ ものも言えない仕組みなのか。
誰かこの安倍さんの暴走を止めてほしい。

今日は東京大空襲の40年目でもある。
あの日も10万人くらい亡くなっている。
4年前の地震でも未だ行方不明の人を合わせると2万人近くが亡くなっている。
そしてなんといっても まだ避難生活をしている人が23万人もいるのだそうで・・・・

ある社会学者によると今の政治のやり方は第2次世界大戦の前と非常によく似ているらしい。
「あの日を忘れない」など、きれいごとを言っているだけでなく  政治家は動かなくては・・・・。
原発の再稼働をやめ、 二度と世の中が戦争に向うことのない社会になってほしい。

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