79歳 進化
いつも登っている山の頂上で話しかけてきた女性、話し好きな人でこれまでにも何回か登っているということだが娘さんと来ておられた。
「私がいちばん好きなのは ○○のそばを歩くこと、あそこは気持ちよいよ~」と その場所が本当に《お気に入り》というような言い方。
そして「そこのことを思うと ここはしんど~い」と。
79歳だという。
とてもそんなお年には思えない肌の艶の良さ。しわもあまりない。
その一ヶ月後位にまた出会った。
「娘が四日続けて休みなの、四日続けて来るわ~、今日は二日目だけれど 昨日よりだいぶ進化している!」と。
三日目にまた出会うと 「やっぱりおととい、昨日よりだいぶ楽!、明日も来るよ~、毎日のように登っている人の気持ちがよく分かる。気持ちいいねー♫」とニコニコしながら 話してこられる。
一緒にいる娘さんは 何も言わずただ黙ってお母さんがしゃべるのを聞いておられ、
いくら四日続けて休みでも なかなかそうそう母親との付き合いを優先する娘さんばかりでもないだろう、なんと親孝行な娘さんか!と 二人の親娘関係にも感心した。
女性の常連さんも大勢いるがやはり男性よりはぐっと少なく、 そして年齢も私が最年長くらいなので この79歳の女性がこれから先も時々来てくれるととてもうれしい。
この山に登っている男性の中には80歳をとうに過ぎている数人がいるが ほかの常連さんよりむしろ熱心に登っていて 雨の日でも皆さん傘を持参して歩いておられる。
そして
午後に黙々と登っている男性(昭和18年生まれ)は 朝夕、インシュリンをうち ペースメーカーをしているが 年間365回登るのが目標(雨で登れなかったら次の日には2回登るそう・・)と言われる。とてもゆっくりのペースだが 博学で 出会うといろいろな話を聞かせて下さる。
また 時々ここにも登っておられる昭和17年生まれという男性は 戦争中の栄養不足で右目の視力ゼロで 遠近感がつかめないが 若い頃から山好きであちこち登っているのでやはり山歩きはやめられず 鈴鹿や比良にもよく行く、と。
岩場などでは 這うようにして登っている
どこの世界にもすごい人はいると思うが 自分がよく行く山でも 目標にしたい、と思えるような人が存在している。
そして登山家の田部井淳子さん、残念ながら昨年秋に亡くなられたが ずいぶん前に京都まで講演を聞きに行き、 東北なまりの話し方にすっかり魅了され 以来ずっといろいろなご活躍を楽しみにし、尊敬していた。
癌になってからも 「病気になっても病人にはなりたくない」と 山登りも癌治療の合間に続けておられた。
私が田部井さんを目標にしている、などとは もちろんおこがましくて言えないが いろいろな意味で 生き方の指針をもらっているような気がしている。
中でも福島出身の田部井さんが あの大震災以降毎年 高校生を対象に富士登山を計画し
ていたことは何度もテレビで放映された。
昨年のその登山の時に 途中で断念され ご主人とともに山の中腹で高校生を待っておられ、下山してきた子供たち一人一人に声をかけておられた田部井さんの映像を今も思いだす。
そしてこの登山を計画されたときに次のように言っておられたのは忘れられない。
「厳しい状況にいる高校生たちに、一歩一歩進めば、いつかは頂点に着くと実感してもらいたい」
「私がいちばん好きなのは ○○のそばを歩くこと、あそこは気持ちよいよ~」と その場所が本当に《お気に入り》というような言い方。
そして「そこのことを思うと ここはしんど~い」と。
79歳だという。
とてもそんなお年には思えない肌の艶の良さ。しわもあまりない。
その一ヶ月後位にまた出会った。
「娘が四日続けて休みなの、四日続けて来るわ~、今日は二日目だけれど 昨日よりだいぶ進化している!」と。
三日目にまた出会うと 「やっぱりおととい、昨日よりだいぶ楽!、明日も来るよ~、毎日のように登っている人の気持ちがよく分かる。気持ちいいねー♫」とニコニコしながら 話してこられる。
一緒にいる娘さんは 何も言わずただ黙ってお母さんがしゃべるのを聞いておられ、
いくら四日続けて休みでも なかなかそうそう母親との付き合いを優先する娘さんばかりでもないだろう、なんと親孝行な娘さんか!と 二人の親娘関係にも感心した。
女性の常連さんも大勢いるがやはり男性よりはぐっと少なく、 そして年齢も私が最年長くらいなので この79歳の女性がこれから先も時々来てくれるととてもうれしい。
この山に登っている男性の中には80歳をとうに過ぎている数人がいるが ほかの常連さんよりむしろ熱心に登っていて 雨の日でも皆さん傘を持参して歩いておられる。
そして
午後に黙々と登っている男性(昭和18年生まれ)は 朝夕、インシュリンをうち ペースメーカーをしているが 年間365回登るのが目標(雨で登れなかったら次の日には2回登るそう・・)と言われる。とてもゆっくりのペースだが 博学で 出会うといろいろな話を聞かせて下さる。
また 時々ここにも登っておられる昭和17年生まれという男性は 戦争中の栄養不足で右目の視力ゼロで 遠近感がつかめないが 若い頃から山好きであちこち登っているのでやはり山歩きはやめられず 鈴鹿や比良にもよく行く、と。
岩場などでは 這うようにして登っている
どこの世界にもすごい人はいると思うが 自分がよく行く山でも 目標にしたい、と思えるような人が存在している。
そして登山家の田部井淳子さん、残念ながら昨年秋に亡くなられたが ずいぶん前に京都まで講演を聞きに行き、 東北なまりの話し方にすっかり魅了され 以来ずっといろいろなご活躍を楽しみにし、尊敬していた。
癌になってからも 「病気になっても病人にはなりたくない」と 山登りも癌治療の合間に続けておられた。
私が田部井さんを目標にしている、などとは もちろんおこがましくて言えないが いろいろな意味で 生き方の指針をもらっているような気がしている。
中でも福島出身の田部井さんが あの大震災以降毎年 高校生を対象に富士登山を計画し
ていたことは何度もテレビで放映された。
昨年のその登山の時に 途中で断念され ご主人とともに山の中腹で高校生を待っておられ、下山してきた子供たち一人一人に声をかけておられた田部井さんの映像を今も思いだす。
そしてこの登山を計画されたときに次のように言っておられたのは忘れられない。
「厳しい状況にいる高校生たちに、一歩一歩進めば、いつかは頂点に着くと実感してもらいたい」
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