ゴミ出し

「お金はたまらないけれど ゴミだけはたまる」とはよくいう話。
確かにゴミは まぁ~よくたまる。

ゴミの収集日に合わせて前日に用意しておき 起床後すぐに集積所へ持っていくが 生ゴミを持っていくたびに 「だんだんこれも重くて持っていけない日が来るのだろうな」と感じている。
たった100歩あまりの距離だけれど 一週間分の生ごみは結構重い。

我が自治体は週2度の生ゴミ収集日がある。
生ごみ用の袋(有料)は 大、中、小の3種。
真夏以外は 中のゴミ袋を利用している。

先日新聞に「高齢者のゴミ出し」について書かれていた。
住民同士が支援する例、自治体が支援する例が 載っていた。
住民同士が支援するということは交流する機会も生まれ、災害の際の対応にもつながると言う利点があるようだ。
私の友人は ヘルパーをしているが ゴミの収集日に合わせて利用者さんの家に行き、ゴミを出している。おそらく介護保険を利用しているということだろうと思う。


ゴミの分別についても 「年齢を重ねると 分別もむずかしい」との記事もあった。
この地域では 細かい品目について 「〇は △ゴミ」 「〇〇は ▽ゴミ」と記載されたものに従って分類し、その収集日に合わせる。 

若い頃は ゴミ出しについて悩むことがある、などとは考えたことなどなかった。
廃棄されるにしろ、リサイクルされるにしろ 細かく分けるのは当然のことと考え 少しでも再利用されるのなら・・・と せっせと分類していたが だんだんそれもおっくうになりつつある。
その立場にならなければわからないことが多い、と言うことで ≪この先 100歩ほどの集積所へ持っていくことも出来なくなったら・・・・その時にこの自治体はどうやって住民をささえてくれるのだろう?≫ とも 考えてみる。

手押し車を購入し それに乗せて運ぶ、その次の段階は  手押し車を押して歩けなくなったら・・・・ゴミを手押し車に乗せることもできなくなるかもしれない・・・最近月日の経つのがあっという間なので こうなる日もあっという間に来るのだろうか?
ちょっと考えすぎかもしれないが。


それにしても 集積所にだされているペットボトルの量!!すごい!
この頃若い人は「お茶は買うもの」と思っていて 急須でお茶を入れる人が少なくなっているということを聞いたことがあるが 確かにそうかもしれない。
いくらリサイクルされるといっても 無駄なものには違いない、と思うのはおばあさんの考えなのだろう。

スーパーで売られている野菜のトレー、袋詰めのおかきなどの個包装、それ以外にもありとあらゆるものが「壊れないように 汚れないように 見栄えの良いように 等々」ていねいに梱包されていて すべて それも家へ持って帰れば ゴミである。
人々の意識を変えるのはそう簡単ではないだろうが ゴミを減らすような工夫も必要だと思う。
 

せめてもの抵抗として たくさん届くチラシや送られてくる冊子などは 「リサイクルゴミ 紙」の日に出すよう 日々別の袋に入れ 間違っても生ゴミの袋には入れないようにしている。
これも70歳を超えているおばあさんの抵抗!!!(^^)!


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