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偏屈なアマノジャク

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今年も日本で二人がノーベル賞を受賞し 先日は授賞式の様子が放映されていた。 もう7年も前のことになるのか 益川敏英さんが ノーベル物理学賞を受けられ その時の会見で 「大したうれしくない」と口走ったそうで  一時は題名のようなレッテルを張られたのだそう・・・・・ たしかあの時には3人が物理学賞を受賞されたが テレビで見る限り 益川さんの話す言葉は 科学者としてちょっと変わった雰囲気で 「ユニークで 楽しそうな人」との印象を持った。 今回ほんの数日前 県内のあるところに 益川さんが来て 今の世の中を憂いて講演会をするということだったが あいにく聞きに行くことが出来なかったので 今年の8月出版の本を手に取ってみた。 「科学者は戦争で何をしたか」         集英社新書    益川さんは5歳の時に家に傷痍爆弾を落とされたが 奇跡的に両親とともに逃げ延びることが出来たそうで その時の経験をもとに 昨今の安倍政権の安全保障法制の改定に躍起になっていることや 憲法改正を勧めようとしていること等から あのような戦争への道に決して進んでほしくないとの思いから 執筆されたようである。 科学者はもちろん研究が好きで自分たちはそれに打ち込んでいるつもりでも  過去に科学技術がいつの間にか戦争の兵器として使われていった、 ・・・ことを考え  この先どうすれば本来平和に利用されるべき科学が軍事利用されないようにするにはどうしたら良いか ・・・と言うことを常に考え そのことを多くの人に発信したいとの思いで 執筆し 講演会を開いているようだ。 この本の中で益川さんは 恩師坂田昌一先生の言葉を何度も引用している。 「 科学者は科学者として学問を愛する以前に まず人間として人類をを愛さなければならない 」 この坂田先生の言葉を座右の銘として 「 科学者として生活の目標だけは失うまい 」と心がけているそうである。 勉強だけではなく社会問題も考えるようにならないと一人前の科学者ではない   というのも坂田先生の持論だったそうで 益川さんは組合活動もし 平和問題や原子力問題にも長く関わってこられたそうである。 今の安倍首相の暴走を本気で憂いており ノーベル委員会が 日本国憲法の9条をノーベル平和賞 として認め、 それを安倍さんに受け取ってもらえるように

8歳の女の子

語り手の女性は 小学3年生の時の下校時に 50代酔った男性に無理やり引っ張られ ビニールハウスの横で性的暴力を受けた、という。 淡々とした口調のその話しを聞きながら 何度か 涙が出そうになった。 今回の話しもまた、ラジオを聞いている時のことである。 通りがかりの人が110番通報してくれ 犯人は警察に捕まったらしいが クラスの友人にも自分が被害にあったことを知られ その後長期にわたって  「自分はもう生きている価値はない」などと思いつめたり 男性の側に行くと 震えがきたり・・・・・ 女性であるが故にそのようになったのだから・・・と 一時は自分を否定してしまった時期もあったらしい。 過呼吸症、フラッシュバッグ、対人恐怖症など様々な 困難をくぐりぬけてきたらしい。 非行に走ったり 自殺未遂も・・・・・ しかし 成人になり おつきあいした男性に  「隠し事をしてはいけない」と決心し 思い切って ありのままを伝えたら 「かわいそうに・・・・」と理解してくれたそう。 それともう一つ とても素敵な言葉かけをしてくれたそうなのだが 私は今  どうしてもその言葉を思い出せない、残念!  すごく思いやりのある言葉で聞いた途端 涙があふれ出たので あらためて思い出そうとしてもなんとしても 出てこない!! 何とやさしい心の男性よ・・・と感動したのだけれど・・・・ その後二人のお嬢さんに恵まれたが 長女が3年生になった時に 下校時になると 「娘も被害にあうのでは・・・」との不安から またパニックを起こし ヒステリー状態にもなり 薬も欠かせないように・・・・ その長女にも子どもにわかるように 本当のことを伝えると「ママ、かわいそう・・・・・」と同情されたとか。  その後 ご自分の経験を誰かの役に立ててもらえれば・・・・と講演なども行っていたが ある時、地方新聞社から 「実名で連載記事を・・・」との依頼があったそうで まず家族にそのことを伝えると 夫は理解を示してくれたけれど 母親には大反対された。 そして長女には 次のように言われ すごく叱られた、そう。 「ママ、 どうして悩んでいるの? ママは何にも悪くない! 堂々と名前も公表してほしい」と。 その時に長女は高校2年生だったそう。 性暴力サバイバー  という言葉を初めて聞いたが 当

玉ねぎ 50㎏  (*^_^*)

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今朝のラジオで 「体重50㎏の人なら 玉ねぎ50㎏食べなければならない」と耳にはさんだ。 え? 玉ねぎ? 50㎏? 何それ?  〇〇を食べれば癌にならない、血圧が下がる、ダイエットになる、若返る、などの 食品の情報があふれかえっていて あたかも それを食べれば  たちどころに症状が改善されるかのように勘違いする消費者が大勢いるというのである。 群馬大学の名誉教授がそういう情報に警鐘を鳴らしているそう。 玉ねぎ云々というのは 「玉ねぎを食べれば糖尿病が治る」という テレビ番組に対して 「そういう情報は全く量的な事には触れていないことに問題があり 実はその効果が現れるのは ・・・・・」という話しの一部を聞いたようだ。 フードファディズム  というらしい。 以下 ウイキペディアより抜粋 食べもの や 栄養 が 健康 と 病気 に与える影響を、熱狂的、あるいは過大に信じること 。 科学が立証したこと以上にその影響を信じ固執していることであり 、科学が立証したことに関係なく食べものや栄養が与える影響を過大に評価することである 。 科学が立証したことよりもその影響を信じ固執していることである 。 マスコミ で流されたり書籍・雑誌に書かれている「この食品を摂取すると健康になる」「この食品を口にすると病気になる」「あの種の食品は体に悪い」などというような情報を信じて、バランスを欠いた偏執的で異常な食行動をとること 以前  昼のテレビ番組で たびたび 〇〇を食べると 痩せる、健康になれる、血圧が下がる、がんにならないetc. などと特定の食品(たとえば ブロッコリー)を挙げるとスーパーのその日の午後から 食品売り場にその食品がなくなる・・・と聞いたことがあった。 緑茶を毎日10杯飲むと癌にならない、などと言うことも聞いたことがある。 コーヒーも一日5,6杯飲むと ◎◎にならない・・・・  などとも。 大体において 一日にそんなに飲料を飲んでいたら 腎臓に負担がかかって 癌にならなくても腎不全で 命が縮まる・・・・のでは?と思って聞いていた。 誰でも 健康で長生きできれば・・・・と願うのは当たり前だと思うけれど 健康をテーマとする雑誌(月刊)の広告を見ていると  「〇◎を食べれば  ~~だ」 「◎〇で癌が小さ

「ない」  「ない」  「ない」

収入が著しく少ない 十分な貯蓄がない 頼れる人間がいない という三つの「ない」の状態を 下流老人というらしい これら三つがない状態だと あっという間に 貧困に陥る危険性があるというのである。 「 下流老人 」とは 朝日新聞社から出版された本の題名で 藤田孝典氏の 造語らしい。 今までは家族がいたし 地域の助けがあったし、預貯金にしても 今のように目減りする時代ではなかったことで 最近の我が国の状況は 予想外のことが次々起きている。 日本の政策の異常さを指摘している。 先進国では当たり前の社会保障の基本になるような政策を何もやっておらず 最低保障年金制度はなく  医療費の窓口負担〇(ゼロ)もない・・・・・・ 政治家が本当に国民一人一人のことを考えていれば どうにかなるはずだが 今の政治家をみていたら 自分たちのことだけ考えているように思えてならない。 「女性が活躍出来る社会」と言っても 子供を預かる場所が少ない、預かっても働く賃金より保育料の方が高ければ 働く意欲も無くなるだろうし  大学の学費も異常に高く アルバイトをしなければとうてい学生生活を送れない、という学生も数多くいて その対策を考えるどころか まだ学費を上げようとしている! それで『一億総活躍社会』などといっても それどころか『 一億総老後崩壊 』が起きてきている。 これはいまの高齢者の問題だけではなく 今の若者の4割が非正規雇用で 貯蓄もあまりできないだろうし 彼らも下流老人予備軍になるのは目に見えている。 将来の年金も当てにならなければ 働く意欲も無くなるし 結婚して家庭を築く意欲も無くなってしまうのではないだろうか・・・・ 先日同世代の人と 周りに数多くの未婚者がいる、と話した。 明るい未来が見えてこないので新家庭を築けないのは当たり前・・・・と。 高度成長の良い時代に過ごしてきた我々が 自分たちの子供や孫の世代に 豊かな未来を残してあげられなかったことに 申し訳なさがいっぱい・・・・ 「低所得年金者に年間3万円給付」とか、「最低賃金引き上げ」とか  最近言い出したが それって人気とりの何物でもない、選挙が近くなったから票集めをしたいだけでしょ? 安部さん わかってますって・・・・ いつも上辺だけの言葉だし、「丁寧に説明する」と言ってい

調和の美

以前から お名前を知ってはいたが今回近くで 「杉田静山(すぎたじょうざん)」さんの竹細工展が開催され 見せていただいてきた。 大阪生まれの杉田さんは12歳の時に聴力を失い、 戦後両親の里の滋賀県野洲に移り住み 野洲川の竹と出会い、竹かご作りを始めた、という。 日展や伝統工芸展にも何度も入選され、 滋賀県の無形文化財保持者でもある。 展示されている籠は どれを見ても繊細で優美で竹のしなやかさが感じられ 美しさに感動!  こんな言葉でしか表現できない自分が情けない・・と思うような作品ばかり。 編み方もご自身が工夫され、制作した籠は愛着もあり 売ることはせず 工房に保管しているらしいが その中のいくつかに野の花を生けた写真を展示してあった。 真竹(マダケ)を使い、竹を選ぶことから作品作りが始まる。 節間が長く 節ぶくれの少なく素直に伸びている竹を使い、刃物の使い方も工夫して 研磨紙で 丁寧に磨く、という。 形造るのは手の感覚で 美しいカーブを描いていくのだろうが 竹のしなやかさを活かした繊細さが何とも言えない。 愛情込めて作っているので 出来上がった時には  籠に向かってお礼をする 、というが その気持ちがよくわかるような 素敵な素敵な籠ばかりだった。 籠がどれもすばらしいのはもちろんだが 野の花をさりげなく生けてある写真には 目が離せなくなってしまった。 竹籠には 花が似合う。 陶器に生けてある生け花で感動することはこれまであまりなかったが 今回は 花を生けることによって籠も花もすばらしさが よけいきわだってみえた 奥様の昭子さんが 竹籠には花が合う、との思いから 生け花を習い 花とマッチする籠に生け、60代から学んだパソコンやデジカメでご自分で写真を撮り その数々の作品を本にした作品集も数冊。 昭子さんも聾者だそう・・・・・ この素晴らしさを夫にも見てもらいたくて ぜひ行くよう勧め 夫は最終日に行った。  その日にはご本人が来ておられ、何といろいろお話もさせていただいたそう、奥様も控えめにそばにおられたらしい・・・・ 静山さんの手を見せていただき 握手させてもらったら すごくやわらかかった、とか。 自然の竹にずっと触れているから 80歳を過ぎていても 柔らかいのでしょうね・・・・・

あっちにも こっちにも・・・・・

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比良山系の行ったことのない山の 地図上に点線が入り 道を通れそう・・・ということで出かける。 7時半登山開始。 連休初日でこの日だけが良い天気だというのに案外人が少ない。 7,8年前くらいだろうか この道から友人とで何度も夫婦滝まで歩いたが このところ あまり行かなくなりずいぶん久し振り。 歩き出してすぐ きれいなモミジが一本あった。 今年の紅葉は全くよくない、ということだけれど 一本だけでもきれいな木を見ることが出来て幸せ。 真っ赤な実が垂れ下がっていて 近づいたらどうやらイイギリの実のよう。 こんなにたくさんついているのを見るのは初めて。うれしいな。 イイギリの実 こちらの木の葉はすべて落ちている 以前はなかったと思うが 護摩堂が出来ていた。 伊藤新道出合より。 白滝山への登山道の最初は 急登だし浮石が多く、緊張した。 ワサビ大滝,ワサビ天井滝ともに水量多い。 ワサビ大滝 この画像じゃ、さっぱりわからないな~ ワサビ天井滝 高低差相当あったが この滝を見るのは初めてかも? 最後のジグザグ登りは落ち葉を踏みしめ・・・・・・・LEKI の先は 常にこんな状態 2時間あまりかかって白滝山(1022)頂上。 白滝山頂上 白山ではありません(^ム^) オトワ池あたりから ちらほらナメコが生えている木が 見られだした。 「今日は 長い距離を歩くので ナメコはスルーね」と言いながら 歩く。 一体、この池はどこに? スル―するといいながらも しっかりナメコを入れる袋を 持っとりマス  (*^_^*) 木戸峠あたりからは あちらにも こっちにも・・・・・・ 関西電力の 巡視路のせいで 木の高さが低くなっていて 遠くからでもナメコがついている木は良く見える。 スルーしているわけにはいかなくなった  (*_*) (*_*) 比良岳(1051m)から 烏谷山辺りでは数組の登山者に出会ったが みなさんナメコには関心がなさそうで・・・・素通り。 半袖の若者二人が逆コースで歩いて来て 話しかけてきたので ナメコの袋を見せると 「大きいですね~ぇ」  「あげるか

雨の恩恵

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今年は10月には全くといっていいほど 雨が降らなかった。 しかし このところ降り出したら 2日くらい続けて降る。 そのせいでかどうか いつも行く山の登山道に ヒラタケがついているとの情報で 行ってみた。 KBさんが朝見つけ 何人かのお馴染みさんにその話をしたそうで 我々がその場所に行ったときには 上の方のヒラタケは なくなっていたが きっと「採り易いところを残しておこう」との配慮だと思うが 地面のほうにかなりたくさん残っていた。 朝、見た時は 目の高さの辺りもそのずっと上の方にもびっしりついていたらしい。 でも下の方だけでもとてもたくさんあり見事! 感心していたら ちょうど二人の常連さんが登ってきたので 採取を待ち 「見て~」と観察(?)してもらった。 天然のヒラタケを食べられる人はそうそういないよね・・・ と言いながら 分けてそれぞれ持ち帰る。 この木には 昨年はキクラゲが上の方にたくさんついていたのにヒラタケまでもが・・・・。 キクラゲも横の方にまだ小さいけれど 生えていた。 早速その日の昼ごはんのチャーハンにキクラゲを入れ スープの浮かしにヒラタケを。 夜は豚汁を作り 最後にネギとヒラタケを入れサッと火を通していただく。 ありがたいこと!!産地直送そのもの  (*^。^*)

あれから40年  (*^_^*)  (*^_^*)

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野洲町(当時)の広報に「健康のためのリズム体操教室」というように3か月間の募集があったのは ほぼ40年前、 近所の6歳上の友人が誘ってくれて 参加するようになった。 あのころはまだ せいぜいトレーナーにトレパン姿。 友人はすぐやめてしまったが 私は体が軽くなったような気がして 続けた。 「せっかくやりはじめたのに3ヶ月でやめるのはもったいない」と その受講生だった体育大学卒の女性が すぐに リズム体操クラブを立ち上げた。 即 入会。 当時 近くのスーパーの定休日は木曜日。 その店にパート勤めをしている人が多かったので例会は木曜日になり それ以来ずっと木曜の活動・・・・・・ まだ息子が2歳だったし、車の運転免許も持っていなかったので 自転車に乗せ 少しのおやつ、絵本、折り紙などを持って連れて行った。 あのころ 同年齢の子を連れてきていたのは常に5,6人はいて 体育館の横の方で 遊ばせながら 自分たちは音楽に合わせ 1,2,3、…と2時間近くやっていた。 最盛期には 200名近くの人になり 一時は Aグループ 、Bグループに分けていたこともあったっけ。 その間35年間くらいは年に一度 大阪まで出かけ発表会にもクラブとして参加した。 あれから 40年 今は 30名に減ってしまったが そのうちの20人以上は30年間続けている人ばかり。 30年を過ぎたころから「体操を続けている」話をすると  「そんなに長いこと??うわ~~すばらしい!!」と感心されたが 木曜は体操へ・・・・というのが体にしみついていて 努力した感は全くない。 なんとなくやっていたら あっという間に月日が過ぎていた・・・・という感じ。 前置きが長くなった  )^o^( 今回 毎年一回の秋のお楽しみ会を少しリッチに!ということで近江バスを一台借り切り 淡路島に行ってきた。 81歳から65歳までの20名。 日々体を動かしているということは 身体のみならず精神的にも良い効果があるようで 文字通り 日ごろから 和気あいあいだし どこかへ出かけても皆仲良し。 仲間同士の悪口もあまり聞いたことがない。 ありがたいことだ。 淡路島夢舞台;奇跡の星の植物館 庭の入口にこのように動物の形に 剪定した像がたくさん 二階からの画像 白い花

6人に一人

貧困の子供がそれだけいるらしい。 お風呂は月一度、洋服もずっと同じものをひと月着たまま・・・・食べるものも一日一食・・・ そんな子が少なくない、という記事を読み 唖然とした。 4割が非正規社員!!というのもびっくりした。 そんな時に一億総活躍社会 などとのんきなことを言っていていいのか・・・・・ それより先に 未来ある大事な子供たちを何とかして救おうとする方が 大事だと思うのが当たり前ではないのか・・・・ ひとり親家庭の子に貧困が多いので 子どもを置いて働きに出ている場合も多く 子供たちは親との接触時間も少なく 会話する時間も限られてくるそうだ。 学校徴収金未納、修学旅行にも行けない、夏休みの楽しかったことも日記に書くことなどなにもない 親が不在のため、食事の代わりにお菓子だけを食べ 歯ブラシも買えない,虫歯だらけ 子どもの貧困対策担当課を設けている 東京都足立区では子供の医療費自己負担はないということだ。  それでも一年以上子供の虫歯を放置している家庭が多く、 経済的な理由だけからではなく ダブルワーク、トリプルワークのひとり親家庭では 歯科医に連れて行く時間がなくて 虫歯の放置ということになっている場合もあり 経済的な理由からだけではなく もっとさまざまな視点をもって見守って行かなければならない、と伝えている。 経済評論家の内橋克人氏によると 日本の子供の貧困率は 先進国の悪いほうから3位だそう。 未来ある子供を貧困から救うためには 社会が支えていかなければ・・・・と思う。 そうしなければ 経済発展などあり得ないのでは・・・・・・? 追記  11.17の朝刊より・・・・ 「フードバンク」の活動について 国内に40位団体があるそう ◎食べ物の無駄をなくすこと ◎困窮した人に手をさしのべること この二つの目的で結びつき、社会的にも有意義で市民からも共感を得られやすい活動だから 広く皆に認知され広がることを願っている、という 2012年度の食品ロスは642万トンだというから驚く。 十分まだ食べられるのに捨てられる食べ物、中身は何ともないのに外箱が汚れたり サイズが企画に合わないため捨てられる野菜や果物などを合わせるとこれだけになるという。 一方で毎日の食事に事欠く人が大勢いる現状を こうした団体が何とか

宝物

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小中学校時代、不登校になり学校へ行かずに過ごした県内の女性(30代)が 人々との温かい出会いを通じて 学校へ行かなかった日々を「 宝物 」と伝えている。 学校へ行かなかったからこそ 出会えたものがたくさんある 小学校6年生の担任が「行かないという気持ちを大切に思う」と 週1で家庭訪問してくれ 学校以外のところでいろいろおしゃべりし「私の自由を尊重してくれている」と感じることがあったり 生け花の先生との出会いでは 「いい加減な気持ちで花を生けると 先生から気持ちが入っていない、と叱られ  生け花を通じて人や物に対して一つ一つ丁寧に向き合うことの大切さを学んだ、 など 出会いが自分にとっての学校だった 、 たとえ真っ暗だとして人の中にある明かりを分けてもらえた 、 その分今度は誰かに光を分けてあげられたら・ ・・・・と 市の広報誌に自らの体験を連載している・・そう 数か月前、あるところで50代パパに「3番目の男の子が 中学校へ行かなくなって・・・・・」と 深刻な顔で 打ち明けられた。 どうやらいじめにあったことが原因だったようだが 父親の彼は「勉強が遅れる」と 心配していた。 当事者にとってはもちろん そのように思うのだろうし、心配するのは無理もないと思うが 「中学時代の一年、二年は 将来いくらでも取り戻せる、今は本人の気持ちを大事に思って  親は決して焦ってはいけないよ」などと話した。 「えらそうに言うなどと思わないで! 私はあなたより20年ほど長く生きている、これまで不登校の子供の例をいろいろ聞いてきた、勉強の遅れはこれからでも取り戻せる、一番大事なのは 『親はいつでもあなたの味方だよ』 ということを言葉や態度で伝えること!」などと話した。 どうも母親である奥さんは 子供の意に沿っているようで 仲良かったご夫婦なのに「ぎくしゃくしている」というので 「子供さんは自分のせいで両親の仲が悪くなった、というとまた傷つくのよ、よく話し合って奥さんとの仲もとりもどさないと・・・・」ということも話した。 その後 新聞に 鎌倉市の図書館が 「不登校の子に対して 学校へ行かないなら図書館においで」と呼びかけている記事を目にした。  平日の日中に 図書館で過ごしている子を見ても注意などしない、そうっと見守ってあげたい、ということだと思う。 それに対

ドリーネ

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今日は一日マユミの実のきれいなのに感動した日だった。 遠くから見ると うっすらピンク、近づくと真っ赤な実から濃いピンクの種が顔をのぞかせて・・・・ 数年前までは マユミの木はもっとたくさんあったので 減ってしまったのは残念だけれど あちこち歩いたらかなりの数の大木に出会ってうれしかった。 この木には まだ 黄緑色の葉が残っていて 紅い実とのバランスがすてき  ♫  ♪ 御池岳には池が14個あるとか16個とか聞くが たしかにたくさんある。 今日だけでもそばを通ったのは7,8個はあるかも・・・・・ 風の当らないところで昼食をとり 鈴鹿岳の方を見たら 何やら黄色いテープで囲ってあるところがある。 え!何!と中をのぞいてみたらびっくり!! 囲ってある円周はせいぜい10m足らずだと思うが 深くえぐれていて 私の足元の部分もあるのは表面だけで いつそこが落ちてもおかしくないように えぐれている。 ドリーネというのは石灰岩地域の地表が陥没して出来るらしいが このようにしてだんだん大きく陥没していくのか・・・・・・ 雑草が茂っていて見えないが 大きくえぐれている この画像では深さも分らないが 4、5メートルくらいはあったように思う テープで囲ってなかったら 知らないで普通に歩いていて穴に落ち込んだら それこそ大変! 一人行動なら到底助からない。 山にこんな危険が潜んでいるとは・・・・・・ なんだかぞっとした。 これは鈴北岳頂上付近のドリーネに写った自分の姿  )^o^(      イタズラで~す 日本庭園のミズゴケ レンズが汚れていたらしく肝心なところが見えないが マサキの実かな マサキの種類の実だと思うが 実が割れてオレンジの種が見えてきれい 近くでは初めて見る実。 新しい出会いがあるので山歩きはやめられない アズキナシの実 天気が悪くなるとの予報だったが 風も全くなく 快適な山歩き。 登る時には1台しかなかった駐車場には 下山時には10台くらい停まっていた

いい日

11月11日は介護の日だそうである。 11月11日を漢数字で書くと  +(プラス) -(マイナス) だから 「電池の日」ということは知っていたが・・・・ 介護の日となったのは 「いいひ いいひ」というごろ合わせかららしい。 高齢化社会で 介護は誰しも避けては通れない問題。 介護疲れから愛する配偶者に手をかけた、などと言うニュースもあとを絶たないし  介護は当事者でないとなかなかわかりにくい問題、 ということもよく言われている 。 京都在住の若い二人がライブで 介護の曲を歌い 共感を得ているとか… そのきっかけは 地下街で開いたライブに来ていた67歳の男性から依頼を受けたからだという。 元中学教師だったこの男性は約9年間母親を介護し 「時に泣き、時にいら立ちながらも、母からたくさんの料理レシピを教わり 同じように介護をする友人、仲間も増えた」ことから 「暗く悲しいこととして語られることの多い介護のイメージを変えたい」との思いから 二人に頼んだのだそう。 「 幸せの女神 」というタイトルのこの曲は 全国各地のライブで歌われ 介護中という人以外に、 若い人などからも「やさしい気持ちになれた」と 声をかけられることが多いという。 今年の芥川賞受賞作「火花」作者 又吉直樹氏が JAの全面広告 『いまを考え、明日を想う』の中で 「祖母が笑うということ」と題して 沖縄に住んでいる祖母との思い出を 記していて 心打たれた。 幼いころ、祖母の家に行くのが楽しみだったこと 、 祖母の話しは好奇心を刺激しいろいろなことを考えさせ 成長させてくれたこと   などの話しのほか 今回大きな賞を受賞したので親戚一同50人ほどでお祝いの会を開いてくれたそうだがその時の逸話にはジンと来た 最後親戚一同でカチャーシという踊りを踊るが 異常なほど祖母の手つきは切れがあって美しかった。 太鼓のリズムに合わせ 軽く握られた手を外に向け、内に向ける。 そしてまた外に。祖母が掴んできた幸せをみんなに。みんなの幸せを祖母に。 それは踊りと笑顔によって循環され、みたされる。 祖母が笑うことは僕が笑うことであり 祖母の幸せは僕の幸せでもある

秘密の木??

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晴天続き、「どこへ行く?」 「やっぱりキノコ採り?」 「釈迦?」などの会話のあと、 大津ワンゲル道から・・・・・・・ ワンゲル道の秘密の場所を楽しみに歩いたが 秘密の木には全くなし!!え!! ないね~   がっかり ①そろそろ ナメコ全盛の時期は過ぎたのかな(枯れ木にキノコが生えるのはせいぜい3,4年という) ② 雨の少ないせい?雨が沢山降ったらまた出てくるのかしら ③  9月の初めにたくさん採れたということは 今年は早い時期に出てしまってもう終わり?  いろいろ少ない原因(笑)を二人で 考えながら うろうろキョロキョロ・・・・ この日の一番のベッピンさん! 自然界のものをこうしていただけるだけでもありがたい キノコはなくても 今の時期の山を楽しめただけでも 私はほぼ満足 オウレンの葉 オガサカ道には群生しているがこの辺りで見たのは初めて 春にはほとんどここに来ないので花を見ていないのも無理はない ツルリンドウの実 何かの草に巻き付いていたので スックと立ち上がっていた 紅葉もきれい 「わ~きれい!」「わーきれい!!」と何度も 歓声を (*^_^*) 写真ではきれいなのはわからないのについカメラを向けてしまう 光の当たり具合によっては まるでステンドグラスのようで 何度「ワー――きれい!」と言ったことか・・・・・・ 赤、緑、黄がバランスよく美しかった~ タカノツメの黄葉も すてき! ダケ道を下山。 「まったくナメコの匂いがしないねー」と言いながら。 「去年来た時に ANさんが ここからちょっとのぞいたらあったんだよねー」と言いながら同じ所からのぞいたら あったー!!! でも去年のここのナメコは特級品だったが 今回は2級品かそれ以下(ー_ー)!! 近所の友人が 「リースにするのでドングリを欲しい」と言っていたのを思い出し 途中からドングリを拾い出す。 松ぼっくりも「またどこかにあるだろう」と思っていたが その後はほとんどなくて・・・・ あまり美しくないな~ 量も思ったより少ないし・・・・・ ドングリにカクトがついていると 細工しやすいと思ったが ほとんど はずれてしまっている