はにかみ屋

ふだんあまり新聞をしっかりと読んではいないが「人生相談」の欄は 案外目を通す。
でも 自分の悩み事を 新聞に投稿して相談しようと思ったことは一度もない。

あの忌野清志郎さんのお母さんが 彼の高校時代  新聞に相談しておられる。
彼が3歳の時に実のお母さんは亡くなり 育ての親のお母さんらしい。
(二人目のお母さんのお葬式の時に 清志郎さんは 『僕には二人の母親がいて得した』とあいさつしたそうで よほど素敵な親子関係だったのだろうと 推察される。

この記事には 当時の新聞の回答は載っていないが 高校の美術教師の小林晴雄先生が
お母さんを説得した言葉が載っている。
「ぼくの好きな先生」という歌のモデルになった先生。

この記事を読むと人と人との出会いで 人生が大きく変わることもあり得る、ということを実感させられる。

初めて忌野清志郎の番組を見たときには 正直「え? このメーク??この格好??何?」という感じだった。
しかし、その後の歌の内容や トーク番組での話の内容から だんだん この忌野清志郎から目を離せなくなった。
美術が得意で 絵を描き続けているということを聞いたこともある。
ひょっとしたら あの奇抜な色づかいは 彼の美術のセンスに寄るのかしら??

舞台で歌っているときとは違ってインタビューに答える彼は とても恥ずかしそう…
はにかみ屋。
非常に繊細な性格だったとか。
あの特殊のメークは素の自分を隠すため?だったのだろうか

とにかく強力な個性の持ち主だったのだろう。
反体制派というか 問題提起する歌詞も多くあった。
デビューしたてのころには 舞台上で行き過ぎた行為をして とがめられたことも再三再四だったとか・・・・

「イマジン」
「雨上がりの夜空に」
「スローバラード」
「ラブミーテンダー」
「デイ ドリーム ビリーバー」
「いけないルージュマジック」
etc

時々聞きたくなって YouTubeで 聞いている。

今日が命日だそう
10年前 癌性リンパ管症で 亡くなったが もう10年も経ってしまったのか・・と言う思い。



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